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ホッフェンハイムのニャブリが古巣ブレーメン戦で小さなファンとの約束を実行した - © © imago / Nordphoto
ホッフェンハイムのニャブリが古巣ブレーメン戦で小さなファンとの約束を実行した - © © imago / Nordphoto

ニャブリ、白血病の男の子との約束を果たす

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ウィンターブレークが明けてブンデスリーガが再開した1月13日、ブレーメンのウェーザー・シュターディオンの多くの観衆の目はセルジュ・ニャブリに向けられていた。リオ五輪で得点王に輝き、2016/17シーズンにブレーメンに加入したドイツ代表の若きストライカーだ。しかし、たった1年で王者バイエルン・ミュンヘンに引き抜かれ、現在は期限付きでホッフェンハイムでプレーしている。懐かしのスタジアムに足を踏み入れたニャブリは、2人のエスコートキッズと手をつないで入場。そのうちの一人は、“公式”のエスコートボーイではなかった。

男の子の名前はルーカス・ベルクマン君。ブレーメン出身の11歳だ。ルーカス君は白血病を患っている。今回、ニャブリはルーカス君との約束を守るため、ウェーザー・シュターディオンに戻って来た。

ニャブリとルーカス君の交友が始まったのは2016年10月、ルーカス君の母アナさんによるとルーカス君の病気が宣告された直後だという。当時10歳のルーカス君は学校に行くことも、友達とスポーツを楽しむことも諦めなければならず、病院に入院していた。残念ながら病気の発覚後、その症状は急速に悪くなっていった。

「私たちはルーカスにあとどれほどの時間が残されているのか分からなかったんです。だから、少なくとも彼の一番の夢、セルジュ・ニャブリに会うことを叶えてやりたかった」とアナさんは回想する。ルーカス君はブレーメンのファンで、中でも2016年にアーセナルからやって来たニャブリの大ファンだった。

ルーカス君の望みを知り、ニャブリが治療を受けたことのある病院のスタッフがクラブと連絡を取り、その要望を伝えてくれた。

ニャブリは2017年2月、ルーカス君の病院を訪問。「ルーカスの容態はかなり悪く、何が起こっているのがほとんど分かっていませんでした」とアナさんは当時の状況を振り返る。そして、その訪問から間もなく、ルーカス君は集中治療室へと移された。

幸い、一命をとりとめたルーカス君が最初に発した言葉は「ニャブリ選手が僕のところに来てくれた。スタジアムを一緒に歩こうって約束してくれた」だったという。アナさんによると「ニャブリ選手は確かにそう言ってくれましたが、ルーカスはそのことをほとんど分かっていなかったはずです。それが彼の戦う励みになっていたであろうとしても......」と不思議に思う。

しかし、シーズンが終わるとニャブリのバイエルン・ミュンヘンへの移籍(ホッフェンハイムへの期限付き)が発表された。

ニャブリからの音沙汰がなくなり、一家はスター選手との束の間の交流もこれで終わったと思っていた。しかし、「ニャブリ選手は私たちの電話番号を間違って覚えていたんです。彼はコンタクトを取ろうとしてくれていた」とアナさん。そのことが分かると、ホッフェンハイムに事情を伝え、ニャブリとコンタクトを取ることを試みた。

かくして、アナさんの思いは通じ、昨年12月26日にニャブリから連絡が来た。「ルーカスはそれはもう大喜びで、その日から定期的に連絡を取り合っています」とのこと。ニャブリは初対面の日にした約束も忘れていなかった。ちょうどブンデスリーガ第18節にホッフェンハイムはブレーメンでの試合がある。ニャブリはルーカス君をスタジアムに招待することを決めた。

「とにかく素晴らしかった!ニャブリ選手はサイン入りのユニフォームをくれたんだ。彼の活躍をずっとお祈りしていたよ」と興奮気味で語るルーカス君。試合は1ー1の引き分けとなったが、ルーカス君にとってはパーフェクトな結果だったかもしれない。

ルーカス君にとって忘れられない1日となったが、さらに良いことが待っていた。退院の許可が下り、再び学校に通い出したのだ。

しかし、病気が完治したわけではない。それでもアナさんは「ルーカスはニャブリ選手と出会ったことで本当に強くなった。ニャブリ選手の行動には感服しました。人として本当に素晴らしい方です」と同選手に感謝している。