9年前の2006年12月3日、ブンデスリーガで史上初の日本人によるハットトリックが達成された。その快挙を成し遂げたのが、当時アイントラハト・フランクフルトに所属していたFW高原直泰だ。本稿ではそのハットトリックをはじめ、高原のブンデスリーガでの功績を振り返る。

日本人初のハットトリック

2006/07シーズンの第15節、敵地でのアーヘン戦で14分、現フランクフルト主将のアレクサンダー・マイヤーからゴール前でパスを受けた高原は、ツータッチ目で豪快に右足を振り抜き、ボールをゴールネットに突き刺した。続く44分にも、マイヤーがヘディングで競ったこぼれ球を狙って走り込むと、今度は鮮やかなボレーシュートで2点目。その後も勢いは止まらず、62分には相手DFラインの裏でロングパスを呼び込み、流れるような一連の動作から3点目を決めた。今季第11節にマインツの武藤嘉紀がハットトリックを達成するまで、高原は日本人としてブンデスリーガで1試合3ゴールを決めた唯一の存在だった。

ブンデスリーガへの挑戦

高原は2002/03シーズンの後半戦にブンデスリーガでのキャリアをスタートした。ハンブルガーSVに加入した当時は23歳で、1970年代から80年代にかけて活躍した奥寺康彦氏と尾崎加寿夫氏以来、ブンデスリーガ1部で史上3人目の日本人選手となった。

カーン氏の記録を止めた男

即戦力として期待され、後半戦初戦の第18節ハノーファー戦でデビューを果たすと、その2試合後にはバイエルン・ミュンヘン戦でブンデスリーガ初ゴールをマークした。この日本人の若者によるロスタイムの同点弾こそが、バイエルンのGKオリバー・カーン氏の「ブンデスリーガ無失点記録」を802分で止めたゴールだったのだ。

ドイツW杯の "国内組"

2006年ドイツW杯は日本代表で唯一のドイツ国内でプレーする選手として出場し、大会前のドイツとのテストマッチで2ゴールを挙げるなど地元ファンの注目を集めた。大会終了後の2005/06シーズン後半戦から活躍の場をフランクフルトへ移した高原は、計5年間をブンデスリーガで過ごし、出場数は奥寺氏(234試合)とフランクフルトの長谷部誠(195試合)に次ぐ日本人3位(135試合)、ゴール数は日本人4位の25得点という成績を残している。

「スシ・ボンバーがやって来る!」

話しは少しそれるが、2003年Jリーグ得点王、さらにMVPとなった高原を迎えるにあたり、ドイツのメディアは期待を込めて「ハンブルク、スシ・ボンバーを獲得」と報道した。これが高原のニックネームとして定着したのだが、その後「スシ・ボンバー」はブンデスリーガ、またはスイスでプレーする日本人選手の代名詞のように使われている。つまりこの愛称で呼ばれた日本人選手が後に何人も登場したのだ。もちろんドルトムントの香川真司や、ケルンの大迫勇也も例外ではなかった。

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不屈のFW

高原は2008年のウインターブレイクに、ブンデスリーガでの挑戦を始めた長谷部にバトンタッチをするようにJリーグへ復帰し、その後は活躍の場を求めて韓国へも渡った。2015年J3リーグでは、SC相模原のキャプテンとして33試合に出場。6ゴールを挙げ、若い選手たちを引っ張った。転んでもただでは起きない不屈のFWは、今もサッカーへの情熱を燃やし続けている。「豪快でクレバー」と、ブンデスリーガでも大きなインパクトを与えたFW高原の記憶は、この先も語り継がれてゆくだろう。