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- © Bongarts/Getty Images
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浅野「下を向いている時間は1秒もなかった」

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ハノーファーに所属する浅野拓磨が今シーズン歩んできた道は、必ずしも平坦なものではなかった。2度の負傷にアジア杯欠場、さらにトーマス・ドル監督率いるチームは現在(第29節終了時)最下位に沈んでいる。しかし、浅野の言葉は厳しい状況にあっても力を失わず、移籍問題についても「自分の未来がどうなるかなんて分からない。今はこのチームでやれることをやるだけ」と、信念が揺らぐことはない。 ※インタビューは3月5日に行いました。

浅野「自信を持って全力でプレーしたい」

ーードイツに来て3シーズン目となりますが、ブンデスリーガの印象は?

浅野 そうですね。日本からアーセナル(イングランド)へ移籍しましたが、アーセナルではプレーしていないので、自分にとって初めての海外リーグがブンデスリーガでした。日本とドイツを比較すると、やっぱりブンデスリーガのレベルの高さを肌で感じます。もちろん、プレミアリーグやスペイン、フランスのリーグを経験していないのでまだ何とも言えないんですけど、選手のプレーや判断のスピード、フィジカルの強さでは世界トップレベルのリーグだと思います。ここで通用すれば、どのリーグに行っても通用する選手になれるという気持ちでやってきました。

ーーブンデスリーガで活躍するために必要なスキルや能力は何だと思いますか?

浅野 まず違いを感じたところで言うと、スピードもそうですけど、特にフィジカルですね。日本では経験したことのないような体の強い選手がたくさんいます。特に僕は前線の選手なので、対峙する選手の体がすごく大きかったり、パワーのある選手ばかりで、そこに戸惑ったというのが、ブンデスリーガで一番最初に感じたことでした。そこをなんとか耐えられるよう自分のフィジカルを磨きつつ、でもスピードは殺さずに伸ばしていきたいです。

ーーハノーファーで過ごした今シーズンここまでを、どのように振り返りますか?

浅野 僕自身はここまで、攻撃の部分で、特にゴールという形でチームの勝利に貢献したいと、常にそういう気持ちでいましたが、その気持ちとは裏腹に結果を残すことができていませんし、チームの勝利もなかなか掴むことができず、苦しい、厳しい状況になっています。ここからもっともっと厳しくなると思うんですけど、まずは自分ができることを100%やっていきたいです。

ハノーファー、ドル監督と浅野拓磨 - imago images / Hübner

ーー「ジャガー」という愛称で親しまれていますが、この愛称の由来は?

浅野 (サンフレッチェ)広島でプレーしていたときに、スピードが特徴である僕のプレースタイルから「ジャガー」っていうニックネームをつけてくれたサポーターがいて、それが始まりです。スタンドに「ジャガー浅野」と書いてある旗を見つけてからは、ゴールを決めたときにジャガーポーズをするようになりました。

ーーサンフレッチェ広島でプロのサッカー選手としてのキャリアをスタートし、Jリーグ優勝を経験するなど日本で素晴らしい経験を積んできました。

浅野 高校卒業と同時にサンフレッチェ広島に加入しました。すごく良いチームの一員として、Jリーグで二度の優勝、AFCチャンピオンズリーグ出場、天皇杯の決勝など本当に良い経験をさせてもらいました。あのチームでプレーできていたことが僕の成長に繋がったと思いますし、もし広島でプレーしていなかったら自分はどうなっていたんだろうと考えてしまうくらい、広島の存在は今でも大きいです。広島に少しでも恩返しをするためにも、もっと活躍する姿を広島の皆さんにお見せしたいです。

ーーサッカーを始めた時のことを覚えていますか?

浅野 僕には今、兄弟が7人いるんですけど、二人のお兄ちゃんがサッカーをしていて、僕も物心ついた頃には一緒にサッカーをしていました。小学校に上がると同時にチームに入ってサッカーを始めたのが、僕のサッカー人生のスタートです。兄弟7人のうち6人が男の子で、その全員がサッカーをしていました。だからチームだけではなく、兄弟と一緒にサッカーをできる環境があったというのも、僕にとってはすごく大きかったです。サッカーを始めたきっかけも、サッカーを好きになったきっかけも、どちらも兄弟の影響ですね。

ーー7人兄弟の三男、9人家族という大家族の中で育った浅野選手はいつも家族への感謝の言葉を口にされています。サッカー選手として海外で挑戦する今、家族は浅野選手にとってどんな存在ですか?

浅野 僕にとって家族っていうのは一番大きな存在です。家族に喜んでもらうために、サッカーをもっともっと頑張らないといけないと思ってやってきたので、日本を離れてからも、常に心の中に家族の存在があります。今の時代、テレビ電話もできるので、毎日のように家族とは会話していますし、家族の存在が僕の力になっていることは明らかですね。

ハノーファー 浅野拓磨 - imago images / Sven Simon

ーー負傷によりAFCアジアカップUAE2019を欠場しました。簡単な状況ではなかったと思いますが、リハビリ期間、どのようにモチベーションを維持し、乗り越えてきたのでしょうか?

浅野 アジアカップっていうのは、ワールドカップ(2018年ロシア大会)に出場できなかったからこそ、絶対に行きたいと思っていた大会ですし、僕自身、本当に悔しかったです。けど、下を向いている時間は1秒もなかったです。ケガをした瞬間から、もう気持ちは次に向かっていて、復帰に向けてしっかり良い準備をしようという思いでやれていました。リハビリ期間に、自分をより強くできる部分もあると信じていたので、少しでも成長してチームに戻れるようにと、そういう気持ちでリハビリをしていました。

ーーサッカー選手として、これから叶えたい夢は何ですか?

浅野 やっぱり、サッカー選手としてプレーしているうちに叶えなきゃいけない目標の一つは、ワールドカップ出場です。次のワールドカップ(2022年カタール大会)を目標に毎日、全力で頑張らないといけないと思っています。

ハノーファー 浅野拓磨 - DFL Deutsche Fußball Liga GmbH