追悼:「爆撃機」ゲルト・ミュラー
サッカー界は、史上最高のストライカーの死を悼んでいます。ゲルト・ミュラーが75歳で亡くなりました。
ネルトリンゲンで生まれたセンターフォワードは、1965年から1979年にかけてバイエルン・ミュンヘンでブンデスリーガ427試合に出場し、365ゴールという驚異的な記録を残しました。7回の得点王に輝いたのも稀有なことです。1971-72シーズンの40ゴールという記録は長年破られませんでしたが、昨季ロベルト・レヴァンドフスキが41ゴールを決めたことでついに抜かれてしまいました。またゲルト・ミュラーはバイエルンで公式戦607試合に出場し、566ゴールを記録。4度のリーグ王者とDFB杯優勝を果たし、1967年と1969年にはドイツの年間最優秀選手を受賞しました。2003年にはブンデスリーガ40周年を記念し、DFLはゲルト・ミュラーの功績を称えました。
DFLのクリスティアン・ザイファート社長は、「ゲルト・ミュラーのようなストライカーは二度と現れないでしょう。彼は傑出したゴールゲッタ―であり、何世代にもわたるアイドル的存在でした。信じられないような記録を残し、その多くが今も破られていません。彼と知り合えたことは光栄であり喜びでもあります。訃報を聞いてとても悲しくなりました。ドイツサッカー界はゲルト・ミュラーを名誉ある存在として記憶していきます」と話した。
ミュンヘンで行われた1974年ワールドカップ決勝戦では、「爆撃機」が勝ち越しゴールを決めてオランダを2-1で下し、1954年に続いてドイツ代表を2度目の世界チャンピオンへ導きました。またドイツ代表が3位に終わった1970年のW杯メキシコ大会では10ゴールを挙げて大会得点王に。さらに1972年もドイツ代表のユニフォームを着て得点を決め、欧州選手権の優勝に決定的な貢献をしました。彼は62の国際試合で計68ゴールを記録しています。これはミロスラフ・クローゼに次ぐ得点数です。
ゲルト・ミュラーはバイエルンで、インターコンチネンタル・カップを1回、ヨーロピアン・チャンピオン・クラブズ・カップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)を3回、カップ・ウィナーズカップを1回制覇しました。ブンデスリーガで活躍した後、ゲルト・ミュラーはアメリカで3年間プレー。その後はバイエルン・ミュンヘンに戻り、ユース部門のコーチとして活躍しました。ゲルト・ミュラーにはウッシ夫人と娘が1人います。