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ブンデスリーガ挑戦記:ベラルーシ編

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ブンデスリーガの歴史を彩ってきた外国籍プレーヤーの系譜を紐解く当連載の第5回は、ベラルーシにスポットライトを当てる。

1990年に旧ソ連から独立宣言したベラルーシはいわゆるサッカー大国ではない。ワールドカップや欧州選手権の出場歴はなく、ユーロ2020予選ではドイツ、オランダ、北アイルランドとのホーム&アウェー戦で全敗。同じくビッグトーナメントとは無縁のエストニアから白星をもぎ取ったものの、1勝1分け6敗の4位と惨憺たる結果に終わった。

そんな小国を明るく照らし続けた稀有なフットボーラ―が今年3月、20年以上に及ぶ現役生活に終止符を打った。2000年夏から5シーズンにわたってシュトゥットガルトで活躍し、2009/10シーズンに再びシュトゥットガルト、2011/12シーズン前半にはヴォルフスブルクでもプレーしたアレクサンドル・フレブだ。今回はブンデスリーガ史に名を刻んだフレブに敬意を表し、彼の母国ベラルーシを取り上げた。

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ブンデスリーガ通算168試合出場14ゴールの実績を持つフレブは、自国のサッカーフリークのみならず、名門シュトゥットガルトの目の肥えたファンも魅了してやまない存在だった。加入初年度の2000/01シーズンこそリーグ戦6試合の出場にとどまったが、20歳で迎えた2年目、自身が「今も感謝している」と語る恩師フェリックス・マガトの抜擢によって右サイドハーフのレギュラーに定着。当時35歳のクラシミール・バラコフ、同33歳のズボニミール・ソルドらベテランが鎮座していた中盤に新風を吹き込んだ。

2002/03シーズンは主力として全34試合に出場。足に吸い付くような繊細なボールタッチと相手の逆を突くドリブルを武器に、チームの2位躍進に貢献した。バラコフが去った2003/04シーズンには大黒柱となり、欧州チャンピオンズリーグで優勝候補のマンチェスター・Uを撃破。ケヴィン・クラニーやアンドレアス・ヒンケル、フィリップ・ラーム、ティモ・ヒルデブラントら同世代のヤングタレントとともに、国内外のコンペティションを席巻してみせた。その後、イングランドのアーセナルに移籍して世界的な名手へと飛躍を遂げたのは周知のとおりだ。

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もっとも、他の選手に目を向けると、ブンデスリーガでプレーしたベラルーシ国籍選手は、フレブの実弟であるヴィアチェスラフ、若き日に「フレブ2世」の異名をとったアントン・プツィラの2人だけ。残念ながらどちらも大きな功績は残せず、現在はベラルーシ人がゼロという状況だ。いつの日かフレブのような名手が再び現れ、ブンデスリーガに彩りをもたらしてくれることを期待したい。

文=遠藤孝輔