大台の1000点目まであと2点。オウンゴールの歴史を振り返る
ブンデスリーガでは“ある記録”にリーチがかかっている。今季第10節でマインツのシュテファン・ベルがオウンゴールを献上したことで、リーグ通算のオウンゴール数は「998」に。節目の通算1000オウンゴールまであと2点となった。このありがたくない記録を達成してしまうのは果たしてどの選手か。大台到達を前に、歴代の998点の中から特に印象的なオウンゴールを振り返る。
すべての始まりはレジェンドから…
記念すべき(?)ブンデスリーガ初のオウンゴール記録者は、シャルケとハンブルガーSVで活躍したウィリー・シュルツだ。シュルツはシャルケ在籍時代の1963年8月、カイザースラウテルンとのアウェーゲームで1ー1の同点となるオウンゴールを献上。もっとも、頼もしいチームメートの頑張りもあって最終的には3ー2の勝利を収めている。
歴史に残るスーパーオウンゴール
2014年11月9日はメンヘングラートバッハ(ボルシアMG)のクリストフ・クラマーにとって悪夢の1日となった。公式戦18戦無敗と好調を維持する中で迎えたアウェーのドルトムント戦。ボルシアMGはシュート数1:22、CK数0:7と相手の猛攻にさらされていた。後半途中までは何とか無失点にしのいでいたものの、58分にクラマーが蹴ったバックパスが自陣ゴールに吸い込まれ、これが決勝点に。ゴールから45メートルも離れた位置から放った“豪快な一撃”は、世紀のオウンゴールとしてサッカーファンの記憶に刻まれることになった。
ミスター・オウンゴールと言えば…この2人
ブンデスリーガにおけるオウンゴールの個人最多記録は6点。その記録を保持しているのは長くハンブルクで活躍したマンフレッド・カルツと、今年9月に盛大な引退試合で送り出された元マインツのニコルチェ・ノベスキだ。カルツは1977/78シーズンにブンデスリーガ史上唯一の1シーズンで3つのオウンゴールを記録。一方のノベスキは2005年11月のアイントラハト・フランクフルト戦で開始3分、6分と立て続けにオウンゴールを献上。もっとも、70分に自らゴールを決めて1点差とすると、これにチームメートが奮起して終了間際に同点とし、何とか敗戦を免れた。なお、1試合で2オウンゴールはノベスキを含めてこれまで6人が記録している。
前代未聞の“ハットトリック”
2009年12月にはハノーファーがオウンゴールに取りつかれてしまった。ボルシアMGとのアウェー戦で1試合3発のオウンゴールという離れ業をやってのけ、試合も3ー5の敗戦。その3点はすべてミドルシュートというおまけ付きだった。一つのチームが1試合で3つのオウンゴールを献上するのはもちろん前代未聞のこと。この珍事に肩を並べるチームはいまだに現れていない。
悲願のマイスターシャーレが手元からスルリ…
1999/2000シーズン、クリストフ・ダウム監督率いるレーバークーゼンは首位でウンターハヒングとの最終節を迎えていた。しかし、ミヒャエル・バラックのオウンゴールで劣勢に立たされると、タイトルへの重圧からか格下相手に0ー2で敗戦。一方、勝ち点3差で2位につけていたバイエルン・ミュンヘンが3ー1の快勝を収め、得失点差で順位が入れ替わった。レーバークーゼンは痛恨のオウンゴールでほぼ手中に収めかけていたマイスターシャーレを逃した。
奇妙奇天烈…
2002年4月にコットブスのGKトミスラフ・ピプリツァが献上したオウンゴールは、歴代の「999」のオウンゴールの中でも最も奇妙な形で生まれた。ボルシアMGのマーセル・ウィテチェクが放ったボレーシュートはDFに当たって力なく上空へ。ゴールライン上で待ち構えるピプリツァが難なくキャッチする……はずだった。ところが、直前で目測を誤ったのか、ボールはピプリツァの頭上をワンバウンドしてそのままゴールイン。歴史的な珍オウンゴールが誕生した。
リアルに「痛いっ!」
いろいろな意味で「痛い」オウンゴールとなってしまったのが、2014年3月のマインツ戦でアウクスブルクのGKマービン・ヒッツが記録した一発だ。味方のマティアス・オスチョレク(現ハノーファー)が渾身の力を込めて蹴り出したクリアボールが至近距離にいたヒッツの頭部を直撃。跳ね返ったそのままゴールへと吸い込まれてしまった。ヒッツはオスチョレクの強烈な一撃で一時KO状態に…。何とか90分間プレーしたが、チームは0ー3の完敗を喫した。