ブンデスリーガの名門1.FCケルンでGKを育成する田口哲雄コーチにインタビューを行った - © © DFL DEUTSCHE FUSSBALL LIGA
ブンデスリーガの名門1.FCケルンでGKを育成する田口哲雄コーチにインタビューを行った - © © DFL DEUTSCHE FUSSBALL LIGA

ブンデスリーガで働く日本人(1)田口哲雄GKコーチ<前編>

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ブンデスリーガの名門1.FCケルンにはコーチとして働く日本人がいる。U−21および育成部門のGKコーチを務め、リオデジャネイロ・オリンピック銀メダリストのティモ・ホーンを育てた田口哲雄さんだ。若くしてドイツに渡り、ブンデスリーガで活躍する田口さんに現在の仕事や選手育成のノウハウ、今後のビジョンなどについて話をうかがった。

「日本にいては知り得ないことを学びたい」

――始めにドイツに来たきっかけを教えてください。

田口 僕はずっとサッカーが好きで、若い頃から「サッカーで飯を食いたい」と思っていました。GKだったのですが、前十字じん帯の損傷などひざに起こり得るあらゆるけがをしまして……選手としてのキャリアは諦めざるを得なかった。大学3年生くらいになると周りでは就職活動が始まり、そろそろ自分の人生について考え出しますよね。でも僕はその時、会社勤めをするよりも、好きなサッカーを続けたい、GKに関して、日本にいては知り得ないことを学びたいと思ったんです。常々「ドイツのGKはなぜこんなにレベルが高いのだろう?」と思っていたので、大学を卒業してすぐに渡独しました。始めはケルン体育大学に通いながら、選手としても当時の5部リーグなどでプレーしていたのですが、ひざの状態が悪化してしまって、1年半くらい経ってからサッカースクールでGKコーチのアルバイトを始めたんです。そのうち、学業よりもアルバイトの比重がどんどん上がっていって、気づいたら指導者として働く時間が10割になっていました。

――その後、1.FCケルンでGKコーチとして働き始められたということですね。

田口 ケルンで働き始めたのは2006年からなので、今年で12年目になります。でも当時の正規雇用はセカンドチーム(U−21)とU−19、U−17、U−15の監督だけで、他のコーチはアルバイトでした。タイミングが良かったのは、ちょうどその頃、ブンデスリーガの各クラブに下部組織を拡充する流れがあったことです。それで僕も2008年7月、32歳の時に正規雇用で採用され、その後も正規雇用のスタッフが増え、今ではU−11以上の全監督、GKコーチ、フィットネスコーチが正規雇用です。どこの馬の骨か分からない、プロ選手としての経験もない日本人を雇用するなんて、クラブとしては冒険だったと思います。だから僕だけは唯一、採用テストがありました。僕がグラウンドで指導しているところを、(ロルフ)ヘリングスさんがチェックしていたらしいです。ヘリングスさんは奥寺康彦さんがケルンでプレーしていた時代からクラブにいるGKコーチで、僕の師匠でもあります。

「指導者は目で見て気づけるかどうかが命」

――奥寺さんはインタビューの中で「ケルンのデビュー戦でいきなりPKを献上してしまったが、GKの(ハラルト)シューマッハーが止めてくれた」と話していました。ヘリングスさんは元西ドイツ代表GKでもあるシューマッハーを育てたドイツサッカー界の重鎮ですよね。そんな彼からどのようなことを学ばれましたか?

田口 彼が選手を指導しているのを、僕はずっと横で見ていました。彼が「今のは良い」「今のは悪い」と指導する中で、自分でも良い時と悪い時の違いがだんだん分かるようになっていきました。偉そうなことを言うようですが、指導者は目で見て気づけるかどうかが命だと思います。結局、修正するポイントは、それに気づけて初めて修正できるわけですから。そのポイントを見過ごしてしまったら修正がきかない。そういう意味では、彼の隣で目を養えたのは大きかったですね。だから僕は今でも、最初のぼんやりとした気づきを大切にしていて、何か引っかかるところがあればもう一度目で確かめる。例えばひざの角度やタイミングが違うとか、そういうことを分析しています。目で見て気づくことは大事ですね。 

- © imago / Herbert Bucco

――ホーン選手は昨年のオリンピックにドイツ代表として出場し、銀メダルを獲得しました。

田口 大会中、ずっと連絡を取っていました。ティモは国際舞台でも落ち着いていたし、大事なところでちゃんとボールを止めていた。そういう決定的なプレーを見て、「この選手はもうこのレベルに達しちゃったんだな」と確信しました。

後編へ続く

- © imago / Eduard Bopp

【プロフィール】
田口哲雄(たぐち てつお)
1976年、埼玉県生まれ。2001年東京外国語大学卒業後、渡独。2006年からケルンの育成部門GKコーチとして働き始め、現在はU−21チームのコーチングスタッフおよびU−15からU−21のGK育成を担当している

- © gettyimages / Juergen Schwarz/Bongarts