昇格組のフライブルクを率いてチームを快進撃に導いているシュトライヒ監督 - © © gettyimages / Adam Pretty
昇格組のフライブルクを率いてチームを快進撃に導いているシュトライヒ監督 - © © gettyimages / Adam Pretty

シュトライヒ監督の素顔

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クリスティアン・シュトライヒは2011/12シーズンのウィンターブレーク中にフライブルクの監督に就任して以降、いまも同じクラブで指揮を執っている。在任期間はケルンのペーター・シュテーガー監督より1年以上も長く、現在のブンデスリーガの指揮官では最長。5年以上にわたってこのクラブを率いているのはフライブルクの街への忠誠心に他ならない。3月18日(第25節のアウクスブルク戦)に指揮官として「200試合」の節目を迎えたシュトライヒ監督は、淡々と自分の仕事をこなし、クラブを1部に昇格させ、さらにはチームをヨーロッパの舞台へと導こうとしている。

フライブルクで指導者キャリアをスタート

フランスとの国境近くに位置するフライブルクの街は、ドイツ南西部の「黒い森」への入口であり、50キロ南にはスイスのバーゼルがある。ベルリンやミュンヘン、フランクフルトのような大都会の喧噪やネオンとはかけ離れた世界。しかし、シュトライヒはそれが気に入っている。

ドイツの最も南西に位置する街、ヴァイル・アム・ラインで生まれたシュトライヒは、18歳の時に当時ブンデスリーガ2部のフライブルガーFCに加入。生まれ故郷に近いフライブルクへと引っ越した。選手としてはブンデスリーガで10試合、ブンデスリーガ2部で52試合に出場。フライブルガーFCからシュトゥットガルト・キッカーズ、フライブルク、FC08ホンブルクと渡り歩き、最後はフライブルガーFCに戻った。

1995年、中足骨の負傷をきっかけに12年間の現役生活にピリオドを打つと、コーチとしての道を歩み始める。引退後はフライブルクに戻ってユースチームのコーチに就任し、2011年までは若手の育成に従事することになった。同時に、2007年からトップチームのロビン・ドゥット監督、マークス・ソルグ監督の下でアシスタントコーチを兼任。その間にエーマー・トプラク(現レーバークーゼン)やデニス・アオゴ(現シャルケ)、オリバー・バウマン(現ホッフェンハイム)などを育て上げている。

そして2011/12シーズン、ウインターブレーク中にソルグ監督が解任されると、シュトライヒはスポットライトが当たる場所へと押し出される。しかしそれは本人が望んだものではなかった。一緒に働いていた監督の解任直後に自分がその席に収まるのは裏切り行為のように思えたシュトライヒは、最初はトップチームを率いる仕事を断ったという。また、監督という仕事の責任の大きさも気にしていた。「この仕事には多くのことが懸かっている。人々の生活と仕事がね。悪い結果が出たら? 責任は私に?」

しかし、シュトライヒは就任の打診から1時間後、監督の仕事を引き受ける決心をする。フライブルクの元会長である故アキム・ストッカーがかつて言っていた「いつの日か、責任を取らなければならない」という言葉を思い出したのである。シュトライヒはその言葉どおりに自らの責任を果たし、クラブを最下位から12位まで浮上させた。最終的に降格圏との勝ち点差は6ポイントもの余裕があった。

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