シャルケのMFマッケニーは直近のリーグ戦3試合で先発出場を果たしている - © © imago
シャルケのMFマッケニーは直近のリーグ戦3試合で先発出場を果たしている - © © imago

アメリカ出身の19歳、マッケニーがシャルケで台頭

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ほんの数カ月前までUー19チームでプレーしていた若者が、ブンデスリーガの舞台でバイエルン・ミュンヘン相手に先発起用される。そんなサクセスストーリーを歩んでいるのがシャルケのMFウェストン・マッケニーだ。彼はどこからやって来て、今後どんなキャリアを歩んでいくのか? アメリカ出身の19歳がたどってきた道のりを紹介する。

サッカーとの出会い、アメフトとの二者択一

アメリカ・テキサス州出身のマッケニーの物語は奇しくもここドイツから始まった。父親が米軍基地に駐在していた関係で子供の頃に3年間カイザースラウテルンに住み、そこで人生を大きく変えることになるサッカーと出会う。ある日、近所の子供たちと遊ぶために自宅からソフトボールを持ち出した少年は、気がつけば夢中でサッカーボールを追いかけ、すぐにサッカーの虜になった。数週間後には、キャリア最初のクラブとなるフェニックス・オッターバッハに加入していたほどだ。

ところが、アメリカに戻ったマッケニーは人生の岐路に立たされる。サッカーを取るか、アメリカン・フットボールを取るかーー。本人はのちのインタビューで、同じ日に両方の試合に出たこともあると明かしている。サッカーの試合ですぐに2点を決めて抜け出し、町の反対側で行われていたアメリカン・フットボールの試合に駆けつけた。最終的にはサッカーを選んだが、NFLのワシントン・レッドスキンズの熱心なファンでもあるマッケニーは、「アメフトでも成功していたはず」と自信満々に語る。

- © imago / Jan Huebner

ユース時代はプリシッチとともにプレー

サッカー選手の道を選択したマッケニーは順調に成長し、2009年にFCダラスのアカデミーに加入。各年代のアメリカ代表にも選ばれ、14歳の時には現ドルトムントのクリスティアン・プリシッチと代表でチームメートになっている。マッケニーは移動中のバスでプリシッチの隣に座り、よく悪ふざけをしていたという。そんな2人が5年後、ブンデスリーガ最大のライバル関係にあるクラブでプレーしているとは誰も想像しなかったはずだ。

マッケニーは当時のプリシッチについてこう語っている。「彼は別格だった。若き天才だったよ。彼はとても謙虚だから、そう言われるのが好きじゃないというのは分かっているけどね」

11月25日(第13節)に行われる今季最初のルール・ダービーでは、「マッケニー対プリシッチ」が注目されることだろう。しかし、プリシッチがわずか17歳で華々しくブンデスリーガデビューを飾ったのに対し、マッケニーは1年前にシャルケのユースアカデミーに加入したばかり。この時点でトップチームに昇格できる保証などどこにもなかった。

- © imago

ブンデスリーガデビュー

Uー19チームでは守備的MFとして活躍し、昨季は4ゴール3アシストを記録。計5試合でキャプテンマークを巻いた。チームはUー19リーグの準決勝でPK戦の末にバイエルンに敗れたが、トップチームに招集されるには十分な実績だった。そして2017年5月、同じアメリカ人のハジ・ライトとともにトップチームへの昇格を果たす。

マッケニーは「ハジがいてくれて良かった。彼のおかげで楽になった」と明かしている。ドイツ語が話せず、子供の頃の友人も車で3時間かかるカイザースラウテルンに住んでいる。ドイツに来た頃はあらゆる面で苦労していた。

2016/17シーズンの最終節、マッケニーはライトとともにインゴルシュタット戦でベンチ入りを果たした。だが、この試合でブンデスリーガデビューを飾れたのはマッケニーだけだった。ライトは今季、2部のザントハウゼンに期限付き移籍で出されたが、マッケニーはドメニコ・テデスコ監督のチームに残ることができた。

- © imago / Uwe Kraft

プリシッチに続くブレイク候補

ブンデスリーガには現在、9人のアメリカ人選手が所属している。マッケニーはまだA代表デビューを飾っていないが、旧友のプリシッチとともにブルース・アリーナ監督の下で戦いたいと願っている。もちろん、11月のルール・ダービーでプリシッチと対戦することも楽しみにしている。

「(ダービーマッチでは)監督から信頼を得るだけでは十分じゃない。サポーターからの信頼も勝ち取らなければね。そういう試合だよ。いいプレッシャーにも悪いプレッシャーにもなり得る。プレッシャーに押しつぶされるか、プレッシャーを力に変えて成功するか、そのどちらかだよ」

9月27日にはシャルケとの契約を2022年6月まで延長。「決心するのは簡単だった。シャルケが大好きだし、チームメート、監督、サポーターを愛している。ずっとここにいたい」と話している。6歳の時にドイツでソフトボールを手にしていた少年の物語はまだ始まったばかり。次にブンデスリーガで旋風を巻き起こすアメリカ人は彼かもしれない。