シャルケのテデスコ監督はこの1年で一気に有名になった - © © imago / Eibner
シャルケのテデスコ監督はこの1年で一気に有名になった - © © imago / Eibner

2部の残留争いからブンデスリーガ2位へ。テデスコ監督の成功物語

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シャルケのドメニコ・テデスコ監督にとって、2017/18シーズンはあらゆる物事が急ピッチで進んだ1年だった。「マクドナルドに行ってビッグマックを注文し、店でリラックスすることができなくなった。行ったとしても、今はドライブスルーだけだろうね」。32歳の青年監督はそう言って笑うが、猛烈なスピードで評価を高めた指揮官にとって、無名の市民ではなくなったこと、食生活がわずかに改善されたことはほんの些細な出来事でしかない。

テデスコ監督はシャルケで確固たる地位を築き、今やブンデスリーガで知らない者はいない有名人となった。しかし、2017年の初頭まではドイツサッカー界ではほとんど無名の存在で、目利きと言われるひと握りの人々の間でしか彼の名前が語られることはなかった。

1年前にドイツ国外でテデスコ監督の存在を知っていた者はほとんどいない。当の本人でさえ当時の記憶は曖昧で、「あっと言う間に時間が過ぎていった。光の速さだった」と認めている。13カ月前、人々はホッフェンハイムのユリアン・ナーゲルスマン監督の手腕に目を丸くしていたが、指導者養成コースでナーゲルスマンよりも良い成績を収めていたテデスコ監督が、同じクラブのU-19チームを率いていたことには誰も注目していなかった。

「家族は以前と同じように暮らそうとしている。小さな娘と公園で遊んだり、スーパーマーケットで買い物をしたりしているよ」。テデスコ監督は有名になったことで起こる日常生活の変化を可能な限り小さくしようと努めている。しかし、本人が「光の速さだった」と話すように、サッカー界は1年という期間の概念を変えてしまったようだ。

2017年3月8日にアウエの指揮官に任命された時でさえ、その出来事は大きなニュースにはならなかった。何しろ、当時のアウエはシーズン終了まで残り11試合の時点でブンデスリーガ2部の最下位。残留圏との勝ち点差は11ポイントも離れていた。

アウエのヘルゲ・レオンハルト社長は初めてトップチームの指揮を任された青年監督に、「チームを残留させ、成長させなければならない」とプレッシャーをかけた。それに対してテデスコ監督はこうコメントした。「ここに来ることができて満足しているし、幸運だ。クラブは私が納得するコンセプトを示してくれた。ここでは誰もがサッカーを愛していると感じられる」

チームに関わる人々はすぐにテデスコ監督を愛するようになる。残留のために必要だった最終節での引き分け(フォルトゥナ・デュッセルドルフ戦)を含め、11試合を6勝2分け3敗の好成績で乗り切ってアウエを2部残留に導いた。ライバルチームの結果もテデスコ監督にとっては有利に働いたと言える。才能も運も持った監督だ。

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