内田と香川による日本人対決は、ルールダービーの一つの見どころとなっている
内田と香川による日本人対決は、ルールダービーの一つの見どころとなっている

ルールダービーとは何か? シャルケとドルトムントの威信をかけた戦い

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が所属するシャルケとが籍を置くドルトムントの対決はルールダービーと呼ばれ、ドイツで最も激しい試合の1つとなっている。1963年のブンデスリーガ創設以来85試合が行われ、その対戦成績はドルトムント30勝、シャルケ30勝、引き分けは25回と完全に互角。チームの好不調に関係なく、毎回接戦となる。

ダービーの発端は1947年5月18日、当時地域リーグで圧倒的な強さを誇っていたシャルケを格下のドルトムントが下し、リーグ優勝を決めたことだと言われている。ここで初めて両クラブ間に対抗意識が芽生え、現在までに数々のドラマを生み出してきた。1969年には前半戦の試合で観衆がピッチに入り込み、けが人を出す暴動に発展したことを受け、後半戦の試合では過激なファンを威嚇する目的で近隣の動物園からライオンを借り出し、キックオフ前にピッチ中央を歩かせたという逸話もあるほどだ。

両クラブ間のいがみ合いはピッチ内にとどまらず、ピッチ外での攻防も恒例となっている。2006年にシャルケファンがドルトムントの本拠地ジグナル・イドゥナ・パークから60mものバナーを盗み出したことに対し、ドルトムントファンは4年後にシャルケのフェルティンズ・アレーナの屋根に黄色と黒の旗を立てて報復。さらに2011年にはシャルケファンが再びジグナル・イドゥナ・パークにシャルケのチームフラッグを2本立てるなど、どちらも徹底抗戦の姿勢を貫いている。

近年、ルールダービーを語る上で必ずといっていいほど名前が挙がるのが、ドルトムントMFグロースクロイツだろう。幼少期からドルトムントの大ファンだった同選手はシャルケを忌み嫌い、公衆の面前で「俺はシャルケのことが大嫌いだ。まるでペストのようにね」と話すほど。それ以来、グロースクロイツのコメントは、両クラブの敵対関係を報じる際、頻繁に使用されるようになった。

また、ドルトムント戦でクラブ史上最も多くのゴール(16ゴール)を奪った元シャルケの故エルンスト・クツォラ氏は『エルンスト・クツォラ道』、そしてシャルケ戦のクラブ史上最多得点記録(11ゴール)を持つ元ドルトムントの故ローター・エメリッヒ氏は『ローター・エメリッヒ通り』といったように、クラブ施設付近の道にその名が冠されている。4年前に香川がシャルケ戦で2得点を挙げドルトムントサポーターの心を一気につかんでしまったように、ダービーで活躍した選手はクラブの“伝説”となる資格を有するのだ。

両クラブの威信をかけた86度目の戦いは、いよいよ2月28日に開催される。新たなストーリーの誕生に、ドイツサッカーファンは大きな関心を寄せている。