クラブ史上8度目の降格危機にさらされている清武のニュルンベルク
クラブ史上8度目の降格危機にさらされている清武のニュルンベルク

ニュルンベルク降格の歴史

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これまで7度敗れた残留争いを振り返る

日本代表MFおよびの所属するニュルンベルクが、クラブ史上8度目の降格危機に瀕している。5月3日に行われるブンデスリーガ第33節では同DF酒井宏樹のハノーファーと対戦するが、残留争いをする他クラブの結果次第では、最終節前に降格クラブが決まることになる。緊迫の一戦を控えるニュルンベルクの降格の歴史を振り返る。

1969年 今のところ最後のブンデスリーガ優勝を果たした翌シーズンにいきなり降格となった

1979年 バイエルンのウリ・ヘーネスを獲得しチーム補強を図ったが、それも実らず降格。1974年にはW杯優勝を経験したヘーネスだったが、期限付きでの獲得に支払った金額はわずか15万マルク、月収は5000マルクだったようだ。それ以前にはひざの手術を受けており、かつての世界的ストライカーも11試合で無得点に終わった

1984年 ウド・クルークの指揮下、再昇格から4シーズン目を迎え国際大会への出場権獲得を狙っていた。しかし思惑に反し、アウェー戦だけでリーグ史上ワーストの得失点差-34(得点0、失点34)を記録。シーズン通算では得点9、失点46。2度の監督交代を試みたが、ルディ・クレーナー、フリッツ・ポップ両氏ともにクラブを救うことはできなかった

1994年 前半戦、バイエルンとのダービー戦を2-0で制したニュルンベルク。しかしウィリ・エンテンマン監督は解任され、後半戦のバイエルンとの一戦ではヘルメスの「幻のゴール」が生まれ再戦となり、3度目の対峙では0-5で完敗。フライブルクが最終2節で勝利したために、得失点差で下回るニュルンベルクの降格が決まった

1999年 フリーデル・ラウシュ監督は最終節を前に「もし降格すれば、それは計算外のこと」と悲観的に語った。フライブルクに1-2で敗れ、アイントラハト・フランクフルトがカイザースラウテルンを5-1で下したため、勝ち点および得失点差では並んでいたものの、得点の多かったフランクフルトが残留となった

2003年 再び上位を狙うどころか降格となったシーズン。残留争いのライバルとの直接対決では何もできなかった。最後の最後に救世主として監督に就任したウォルフガング・ウォルフ氏が不可能を可能にするはずだったが、最終4節すべてに敗れた

2008年 UEFAカップでは32強進出を果たしたが、リーグ戦では不調。ハンス・マイヤー氏からトーマス・フォンヘッセン氏への監督交代を経ても調子は上向きにならず、DFB杯優勝クラブとしての降格となった