Summary

  • マインツの新監督にUー23指揮官のシュワルツが就任
  • 過去にはクロップやトゥヘルも“内部昇格”でトップチームを指揮
  • マインツの“内部昇格”の系譜を振り返る

マインツは2016/17シーズン限りで監督の座を退いたマーティン・シュミットの後任に、Uー23チームの指揮官だったサンドロ・シュワルツを任命した。マインツにとっては過去に実践して成功を収めてきた“内部昇格”の人事である。

シュワルツがシュミットの後任としてマインツの指揮官になるのは今回で2度目。2015年にはブンデスリーガ3部を戦うUー23チームを指揮していたシュミットがトップチームの監督に就任し、シュワルツがその後を引き継いでいる。ほとんどのクラブとは違い、マインツにはクラブ内部の人間をトップチームの監督に昇格させてきた伝統がある。その監督人事の歴史を見ていこう。



ユルゲン・クロップ(2001年2月ー2008年6月)

ドルトムントに2度のブンデスリーガ優勝をもたらし、圧倒的な人気を誇ったユルゲン・クロップ監督。彼が初めて率いたトップチームは、当時2部で低迷していたマインツだった。

クロップは現役選手としてグロイター・フュルト戦に出場した数日後にマインツの暫定監督に就任すると、“ピッチ上の監督”としてチームを統率していた選手時代と同様にリーダーシップを発揮。7試合で6勝を挙げ、元チームメートたちを降格圏から救い出すことに成功した。

その後、2シーズン連続で2部リーグで4位となり、2004年にクラブ史上初のブンデスリーガ昇格を達成。3シーズンにわたってブンデスリーガで指揮を執った。その後、2007/08シーズンに2部降格を強いられ、2008年4月に「昇格を逃した場合は辞任する」と明言。結局、そのシーズンは4位にとどまり、クロップは宣言どおり辞任することになった。

マインツで経験を積み、ドルトムントの指揮官として成功を収めたクロップ(左)とトゥヘル(右) © DFL DEUTSCHE FUSSBALL LIGA / Dennis Grombkowski

トーマス・トゥヘル(2009年8月ー2014年5月)

翌2008/09シーズン、ヨルン・アンデルセン監督に率いられたマインツは1部再昇格を果たすが、アンデルセンは2009/10シーズンの開幕4日前に解雇を言い渡されてしまう。開幕まで時間がなかったため、クラブ幹部はマインツのUー19を優勝に導いたトーマス・トゥヘルにチームの指揮を任せることにした。

トゥヘルはすぐに結果を出した。開幕からの2試合を引き分けで乗り切った後、バイエルン・ミュンヘンを2ー1で撃破して世間を驚かせる。その後も11位以下に順位を落とすことなく1年目を終了。翌2010/11シーズンには有望な若手監督として注目されるようになる。

攻撃陣にアンドレ・シュアレとルイス・ホルトビー、アダム・ソロイをそろえたマインツは、開幕からスピード感溢れるサッカーを展開し、ブンデスリーガ記録に並ぶ7連勝を達成。シーズン終盤には5試合で4勝を挙げ、クラブ史上最高位の5位でフィニッシュして欧州リーグ(EL)の出場権を獲得した。トゥヘル政権は7位に終わった2013/14シーズン終了後に、本人が辞任を表明するまで続くことになる。

マーティン・シュミット(2015年2月ー2017年5月)

マインツはトゥヘルの後任としてデンマーク人のカスパー・ヒュルマンドを監督に任命。ELこそ本戦出場を逃してサポーターを失望させたが、ブンデスリーガでは開幕から8戦無敗と好調な滑り出しを見せていた。しかし、第21節に14位まで順位を下げるとヒュルマンドは解任。クラブは2010/11シーズンからUー23を指揮し、チームを3部に昇格させていたマーティン・シュミットをトップチームの監督に抜擢する。

シュミットは降格の危機にあったチームを順位表の中段まで引き上げると、翌2015/16シーズンには5位に食い込んでクラブに再びEL出場権をもたらす。ELの舞台では決勝トーナメント進出こそ逃したが、グループステージ6試合でわずか1敗と欧州の舞台でも堂々とした戦いぶりを見せた。

しかし、ブンデスリーガではシーズン後半のほとんどを降格回避のための戦いに費やし、ギリギリの15位で残留するのがやっと。この結果を受けてクラブはシュミットと袂を分かつ決断を下した。

シュミットは2014/15シーズンから3シーズンにわたってマインツを率いた © gettyimages / Alex Grimm