いつの時代、どこの国にもパイオニアは存在する。母国を離れ、誰も歩んだことのない道へ足を踏み出し、己の実力を試した最初の選手だ。近年は長谷部誠、香川真司、武藤嘉紀ら多くの日本人選手が当たり前のようにブンデスリーガで活躍しているが、すべては40年前の1977年10月、奥寺康彦が古河電工サッカー部での輝かしいキャリアを捨て、ケルンに飛んだことから始まった。


  • 氏名:奥寺康彦
  • 生年月日/出身地:1952年3月12日/秋田県鹿角市
  • ブンデスリーガ通算出場数(得点):234試合(26得点)
  • 在籍クラブ:ケルン、ヘルタ・ベルリン、ブレーメン
  • 代表キャップ数(得点):32試合(9得点)
  • 獲得タイトル:ブンデスリーガ(1977/78)、ブンデスリーガ準優勝(1982/83、84/85、85/86)、DFB杯(1977/78)、DFB杯準優勝(1979/80)


ブンデスリーガの日本人選手第1号としてドイツに渡った奥寺は、すぐに欧州のサッカースタイルに順応し、その後長年にもわたってブンデスリーガで成功を収めていくことになる。1年目は名将ヘネス・バイスバイラー監督率いるケルンでブンデスリーガとドイツサッカー連盟カップ(DFB杯)の二冠を達成。奥寺はリーグ優勝を決めた一戦で途中出場から2ゴールを挙げている。

2年目には欧州チャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)への出場を果たし、ヨーロッパの舞台でも活躍。チームの準決勝進出に貢献した。ケルンで3シーズンを過ごした後、2部のヘルタ・ベルリンへ移籍するが、当時ブレーメンを指揮していた名将オットー・レーハーゲル監督に引き抜かれる形で移籍。わずか1シーズンでブンデスリーガの舞台に復帰する。

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ブレーメンには5シーズン在籍し、優勝トロフィーにこそ手が届かなかったが、主力として3度のブンデスリーガ準優勝を経験。9年間でブンデスリーガ通算234試合出場・26得点という成績を残した。通算234試合出場は2017年3月5日に長谷部が更新するまで、同リーグにおける日本人選手の最多記録だった。

奥寺は1986年に日本へ帰国。その後、高原直泰や長谷部、香川らがドイツにやって来るまで、ブンデスリーガで日本人選手の存在がクローズアップされることはなかった。しかし、奥寺は「日出づる国」からやってきたブンデスリーガ最初の日本人選手、ブンデスリーガで輝きを放った名プレーヤーとして、今なおドイツの人々に記憶されている。

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