Summary

  • バイエルンのクラブ会員数が29万人を突破
  • バイエルンが愛されるクラブである理由とは?

54年前のブンデスリーガ創設時、リーグのオリジナルメンバーに選ばれなかったバイエルン・ミュンヘンは、この半世紀の間に「よく知られていないクラブ」から「世界でも最も多くのファンに応援されるクラブ」へと成長を遂げた。

リーグ優勝27回、ドイツサッカー連盟カップ(DFB杯)優勝18回、欧州チャンピオンズリーグ(CL)優勝5回……バイエルンの成功はドイツ国内でも群を抜いている。また、欧州全体でもレアル・マドリードやバルセロナ、マンチェスター・ユナイテッドといったビッグクラブと肩を並べる存在。さらに、クラブ会員数は他のビッグクラブと比べても抜きん出ている。

バイエルンのクラブ会員数はついに29万人を突破。これはベンフィカやバルセロナといった会員数が多い他の欧州クラブよりも10万人も多い。この3クラブに15万人強の会員を抱えるドルトムントシャルケを加えた5クラブが会員数の世界トップ5。では、バイエルンはいかにして世界で最も愛されるクラブになったのだろうか。

南ドイツでは1860ミュンヘンに次ぐ2番手

ドイツの全国リーグは1963年に創設され、5地域から選ばれた16チームでブンデスリーガが開幕した。その当時、ミュンヘンを支配していたのはバイエルンではなく1860ミュンヘンであり、オーバーリーガ・ズュートを制した同クラブが同じ地域のアントラハト・フランクフルトシュトゥットガルトを含む4チームとともにブンデスリーガに参入することになった。

オーバーリーガ・ズュートでフランクフルトやカールスルーエ、シュトゥットガルトを抑えて3位の成績を収めていたバイエルンは、当然のことながらこの決定に納得いかなかった。しかし、ドイツサッカー連盟(DFB)が1都市1クラブという方針をとっていたため、優勝した1860ミュンヘンがその座を得ることになった。こうしてバイエルンは1965/66シーズンまでブンデスリーガデビューを待たなければならなかったが、結果的にはオーバーリーガで過ごした時間がクラブに大いなる財産を残すことになった。

当時、財政状況が苦しかったバイエルンは高給取りのスター選手を売却し、地元出身の才能ある若手選手をクラブのユースシステムで育てるという方針へと切り替えた。その若手選手の中にいたゲルト・ミュラー、ゼップ・マイヤー、そしてフランツ・ベッケンバウアーのトリオが1970年代の大躍進に大きな影響を与えることになる。

1970年代に活躍したバイエルンのゴールデン・トリオ:(左から)ミュラー、マイヤー、ベッケンバウアー © imago / imago/Sven Simon

皇帝の決意

ベッケンバウアーは1954年のワールドカップでドイツを優勝に導いたキャプテンのフリッツ・ヴァルターに憧れて育った。14才当時はSC1906ミュンヘンに所属し、センターフォワードとして大きな野心を抱いてサッカーに没頭。ところが、SC1906ミュンヘンが財政難に陥り、ユースチームの維持が難しくなった。ベッケンバウアーや彼のチームメートは1860ミュンヘンのアカデミーに移ることを決めた。元々1860ミュンヘンのサポーターで、そこでプレーしたいという夢を持っていたベッケンバウアーにとっては好都合だった。

しかし、1959年にノイビーベルクで行われたUー14のトーナメントがすべてを変えてしまう。決勝戦はベッケンバウアーが所属するSC1906ミュンヘンと1860ミュンヘンの対戦となったが、ベッケンバウアーは荒れた試合展開の中で相手選手と殴り合いの喧嘩をしてしまう。この事件後、ベッケンバウアーは1860ミュンヘンでプレーする気をなくし、バイエルンに加入することを決意。“皇帝”が汚点を残したこのユーストーナメントがなければ、バイエルンの歴史は違ったものになっていたかもしれない。

ベッケンバウアーはバイエルンで500試合以上に出場。4度のブンデスリーガ優勝、3度のヨーロピアンカップ優勝を達成した

黄金世代

バイエルンは1970年代にクラブとして最初の成功を収めたが、この時代がなければ彼らが世界規模のビッグクラブに成長することはなかっただろう。生まれつきのリーダーだったベッケンバウアーは得点を決める前線の選手から優雅にボールを扱うセンターバックとなっていた。また、マイヤーはGKとして優れたテクニックと身体能力を発揮、ミュラーはストライカーとしてゴールを量産し続け、破られることがないであろう記録を樹立していった。

ベッケンバウアーはバイエルンの主将として1972年から1974年にかけてのブンデスリーガ3連覇に貢献。また、1972年の欧州選手権と1974年のワールドカップではドイツ代表を優勝に導いて国際的な評価を高めていった。バイエルンは欧州の舞台でも1974年から1976年にかけてヨーロピアンカップ(現欧州チャンピオンズリーグ)3連覇を達成。ベッケンバウアーは1972年と1976年に“バロンドール”を受賞している。

ベッケンバウアーは監督として1990年のワールドカップで優勝。その後は15年にわたってバイエルンの会長を務めた © gettyimages / Bongarts

ウリ・ヘーネス時代のグローバル化

ピッチ上でのバイエルンの成功の土台を築いたのはベッケンバウアーだが、1970年代の黄金期にピッチ内外でクラブの躍進に貢献した人物がいる。“皇帝”ベッケンバウアーよりも7歳年下のウリ・ヘーネスだ。ヘーネスは1975年のヨーロピアンカップ決勝でひざを負傷し、それが原因で27歳の若さで引退。ベッケンバウアーが引退する4年前のことだった。重大な決断を下したヘーネスは引退後、ブンデスリーガ史上最年少でゼネラルマネージャーとなった。

ヘーネスがGMに就任した当時、バイエルンの負債は350万ユーロにも上っていた。年間売上高が600万ユーロ(当時のマルクから換算)程度だったにもかかわらずである。しかし30年後、GMからクラブの会長に就任するまでの間に、ヘーネスはバイエルンを世界で最も裕福なクラブの一つに育て上げ、売上高は3億ユーロ(約403億円)を超えていた。

バイエルンはヘーネス体制下で圧倒的な力を見せ続け、1980年代にリーグ優勝7回、1990年代から2000年代初頭までにさらに6回の優勝を遂げた。ピッチの上で好成績を残す一方、ヘーネスは販売促進活動にも力を注ぎ、クラブの収益をさらに伸ばしていく。また、ユップ・ハインケスやジョバンニ・トラパットーニ、オットマー・ヒッツフェルトといった著名な監督をクラブに招聘。そしてヒッツフェルトが指揮を執っていた2001年に悲願の欧州チャンピオンズリーグ優勝を成し遂げた(バイエルンは1982年、1987年、1999年と決勝で3度敗れていた)。

現会長のウリ・ヘーネスは引退した1979年以降もクラブで大きな功績を残した © gettyimages / Lennart Preiss / Freier Fotograf

50+1ルールを超えるもの

現在のバイエルンの人気はピッチ上での成績が最大の要因ではあるが、もう一つの要因も隠されている。ドイツには「50+1ルール」というもの存在する。これはプロサッカーチームはクラブ会員が主たるオーナーとなり、クラブの運営を行い、単独の投資家による運営を許可しないという規定だ。レーバークーゼンウォフルスブルクホッフェンハイムライプツィヒという例外は存在しているものの、バイエルンを含むドイツの多くのクラブが会員によって運営されている。

バイエルンは非常にファンを大切にしているクラブでもある。スター選手は日常的にファンサービスを行い、オクトーバーフェストやクリスマスの時期にはさらに多くの時間をサポーターとともに過ごす。社会活動や慈善活動にも積極的に参加し、長年にわたって財政難に陥っていたドイツに連帯感を示してきた。ライバルチームの1980ミュンヘンを初め、ザンクト・パウリ、ハンザ・ロストック、ドルトムントに対して資金を貸し付け、クラブ再生に手を貸したこともある。

クラブがファンを第一に考えるというポリシーはチケットの価格にも反映されている。世界有数の成功を収めているクラブの一つでありながら、アリアンツ・アレーナの最も安いシーズンチケットは140ユーロ(約18,800円)、1試合あたりのチケット代は8ユーロ(1,070円)となっている。

© gettyimages / Alexander Hassenstein

明るい将来

クラブが示してきたピッチ上での成功と強固な財政基盤を考慮すると、バイエルンは今後もドイツと欧州で輝き続けるだろう。目下ブンデスリーガ5連覇中で、今季もハインケス監督の下で6連覇に向けて確かな歩みを続けている。なお、ハインケス監督は2012/13シーズンに3冠を達成した指揮官でもある。

バイエルンは2005年にオープンした7万人収容のアリアンツ・アレーナの単独オーナーでもある。今年10月には2016/17シーズンの売上高が新記録となる6億4050万ユーロ(約861億8000万円)だったことを発表。税引き後の利益は3,920万ユーロ(52億7000万円)にも上る。

クラブにはドイツ代表GKのマヌエル・ノイアーを始め、同じくドイツ代表のマッツ・フメルス、トーマス・ミュラー、ジェローム・ボアテング、さらにはスペイン代表のハビ・マルティネスとワールドカップ優勝経験者が5名所属。また、アルトゥーロ・ビダル、ハメス・ロドリゲス、ロベルト・レバンドフスキという、それぞれのポジションでワールドクラスの選手を抱え、世界中のサッカーファンを魅了している。一方でヨシュア・キミッヒ、キングスレイ・コマン、コランタン・トリッソなど将来有望な若手も毎節のように活躍している。クラブの将来に不安はない。

あらゆる世代で常に素晴らしい選手を生み出してきたバイエルンは、国内で他のクラブを圧倒する大きな成功を収め、欧州でもビッグクラブの一員として不動の地位を築いた。また、ピッチを離れれば親切で規律正しい振る舞いをする。彼らが最も人気のあるスポーツクラブであり続けるのは、29万人という会員の数だけ理由があるに違いない。