Summary

  • サニョル氏がバイエルンのアシスタントコーチに就任
  • 現役時代は不動の右サイドバックとして活躍
  • 引退後は母国フランスで指導者キャリアを積む

バイエルン・ミュンヘンを率いて2シーズン目を迎えるカルロ・アンチェロッティ監督が、コーチングスタッフのさらなる充実を希望した。新たなスタッフを迎えるにあたって指揮官と首脳陣が求めた人物像は、「バイエルンでプレー経験がある」、「指導者キャリアを積んでいる」というもの。そして、そのプロフィールに見事に当てはまったフランス人のウィリー・サニョル氏が来季からアシスタントコーチに就任することが決まった。

サッカー選手らしからぬ言動は10代の頃から

サニョルはアキレス腱のケガの影響で2009年に現役を退くまでバイエルンに約9年間在籍。不動の右サイドバックとして、ブンデスリーガ優勝5回、ドイツサッカー連盟カップ優勝4回、さらには2001年の欧州チャンピオンズリーグ(CL)制覇と数多くのタイトルを経験した。

1970年代にオランダ代表として活躍したウィリー・ファンデケルクホフにちなんで“ウィリー”と名づけられたというサニョルは、サッカー界きっての頭脳派としても知られ、「他の子と違って、サッカー選手になりたいと思ったことはなかった。警察長官になりたかったんだよ」と意外なエピソードを明かしている。

典型的なサッカー選手とは一線を画すキャラクターを持ち、プロデビューを飾ったサンテティエンヌ(フランス)では19歳にしてキャプテンを務めた。当時のチームメートだったフィリップ・クエルボはこう振り返る。「彼はまだ20歳前だったが、そのプレーは年齢に似つかわしくないものだった。性格もしっかりしていて、自分の目標も、そこに到達するための方法もよく分かっていた」

歯に衣着せず意見を述べるサニョルの取り扱いに、アンチェロッティ監督が悩むようなことがあれば、オットマー・ヒッツフェルト氏から知恵を拝借するのが一番だろう。ヒッツフェルトはバイエルンを率いていた2008年、メディアを通して起用法への不満を漏らしたサニョルに対し、UEFAカップ準決勝の遠征メンバーから外すというキツイお灸を据えたことがある。その時はサニョルが詫びを入れて一件落着となったが、恐らく公に監督を批判したことを後悔したはずだ。

サニョルは2000年に23歳でモナコ(フランス)からバイエルンに加入。その発言と同様にズバッと決まるクロスボールはチームの武器となり、サポーターから“センタリングの神”として絶大な支持を集めた。31歳でユニフォームを脱ぐと同時に、母国フランスのTVに解説者として迎え入れられたのも、彼の選手としてのキャリアと鋭い分析力を考えれば当然だったと言える。

© gettyimages / Johannes Simon

名将たちの下で学び、母国フランスで指導者に

2010年にサンテティエンヌの監査役員に就任すると、2011年にはバイエルンのスカウトとしての活動を開始。しかし、元フランス代表監督のレイモン・ドメネクをして、「どんな意見にも聞く耳を持つ新しいタイプ」と言わしめ、ヒッツフェルト、クロード・ピュエル、フェリックス・マガトらそうそうたる名将の下でプレーしてきたことを考えれば、そのキャラクターを最も生かせるのは指導者だった。

サニョルはフランスサッカー連盟でのユース世代のマネージャーの仕事を経て、2013年にUー20フランス代表監督に就任。指導者としての本格的な一歩を踏み出した。「フランスサッカーが自分に与えてくれことに対して同じだけのものを返せるとは思っていない。けれど、できるだけのことはしていきたい」。そこには代表58キャップを刻んだ母国のサッカーへの感謝の気持ちがあった。

2013年のトゥーロン国際大会ではポールジョージ・ヌテプ(ウォルフスブルク)らのいたチームを3位に導き、そのままUー21の監督に昇格。2年後の欧州選手権へ向けて予選で好スタートを切ると、その手腕を買われてボルドー(フランス)の監督に就任する。フランスリーグのトップに返り咲くという使命の下、就任1年目は6位と大健闘。2年目は相次ぐ負傷者と主力2人の退団が響いて低迷し、監督の座を追われたが、一度の失敗が彼の指導者としての価値に傷をつけることはなかった。

そんな矢先に舞い込んだバイエルンからの誘い。誰もが認める欧州のトップクラブでキャリアの全盛期を過ごしたサニョルにとって、バイエルンはどこよりもふさわしい場所だろう。サニョルは9年ぶりに帰ってきた“我が家”で、今度は指導者として確かな歩みを進めていく。

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