Summary

  • 内田がシャルケから2部ウニオンへ移籍
  • 内田の新天地について知っておきたい5項目

ブンデスリーガ2部のウニオン・ベルリンは8月21日、シャルケからDF内田篤人を獲得したと発表した。これまで日本人にとってはあまり馴染みのなかったこのクラブについて、知っておきたい5項目を以下に紹介していく。

【1:クラブの歩み】

大元となるクラブの創設は1906年、ベルリンの南東郊外に拠点を置く3つのクラブが合併し、FCオリンピア06・オーバーシェーネバイデというチーム名でスタートした。第二次世界大戦が終わりドイツが東西に分断された後は、ドイツ民主共和国(東ドイツ)サッカー連盟が行ったクラブ再編により、1966年から1.FCウニオン・ベルリンに名称を変更。現在に続く形となった。それ以前の同クラブは、活動を続けていく中で分離を繰り返し、1906年からの60年間でチームの名が11回も変わっているという珍しいクラブでもある。旧東ドイツ時代の約40年間で1部在籍は計19シーズンと少なく、2部への降格と1部への昇格を繰り返すようなチームだった。

【2:2部でも国際舞台へ】

東西ドイツが統合して以降は、3部リーグに所属。そんな彼らも、2000/2001シーズンのドイツサッカー連盟カップ(DFB杯)では、ファイナル進出という偉業をやってのけた。残念ながらシャルケ相手に0ー2で敗れて戴冠は逃してしまったものの、そのシーズンのシャルケはブンデスリーガを2位で終えて欧州チャンピオンズリーグ(CL)の出場権を獲得。これによって、ウニオンは代わりにUEFAカップ(現EL)へ出場することになり、2部へ昇格した2001/02シーズンにクラブ史上初めて欧州の舞台へ進出している。なお、ウニオンは同じベルリンを本拠地とするヘルタ・ベルリンとともに第2ラウンドまで進出。ちなみにこの年のUEFAカップ決勝でドルトムントを破り優勝を飾ったのは、小野伸二を擁するフェイエノールト(オランダ)だった。

© gettyimages / Danny Gohlke

【3:ファンの忠誠心】

本拠地はベルリン南東ケーペニック地区にあるシュタディオン・アン・デア・アルテン・フェアステライ。収容人数2万2000は2部としてはまずまずの大きさだが、このうち立ち見席が1万8000を超すという稀有なスタジアムだ。そんなホームグラウンドを語るうえで外せないのは「ファンの忠誠心」。2008年に始まった改修工事では、約2000人のウニオン・サポーターが計14万時間もの労働時間を無償で提供し、建設に力を貸している。彼らのチーム愛は凄まじく、2016/17シーズンのDFB杯でドルトムントと対戦した際には、敵地での試合にもかかわらず約1万2000人のファンが応援に詰めかけ、北側ゴール裏はチームカラーの赤で見事に染まっていた。

© imago / Thomas Bielefeld

【4:2部ウニオンでの初の日本人選手】

2012年冬、当時東京ヴェルディ所属の阿部拓馬がウニオンの練習にテスト参加したことはあったが、結局獲得には至らず、阿部はその後アーレンと正式契約を結んだ。これまでウニオンのユニフォームを身にまといブンデスリーガ2部でプレーした日本人選手はおらず、内田が初めてのプレーヤーとなる。

【5:チームの顔ぶれ】

かつてシャルケで指揮を執り、内田の良き理解者でもあるイェンズ・ケラーが現在監督を務めている。主将はレアル・マドリード(スペイン)に所属するトニ・クロースの実弟フェリックス・クロースで、その他に日本人選手と馴染みのある選手も多い。マーセル・ハーテルとフィリップ・ホジナーは大迫勇也が所属するケルンからの獲得選手。グリシャ・プレーメルはカールスルーエで山田大記とともにプレーしていた。また、ウォルフスブルクで長谷部誠と、ニュルンベルクで清武弘嗣と、マインツで岡崎慎司とともに戦うなど、不思議と日本人に縁のあるゼバスティアン・ポルターもいる。

© gettyimages / Stuart Franklin