トゥヘル(左)と同様、マインツのユース部門からトップチームの監督に昇格したシュワルツ(右) - © © imago / Jan Huebner
トゥヘル(左)と同様、マインツのユース部門からトップチームの監督に昇格したシュワルツ(右) - © © imago / Jan Huebner

マインツ、内部昇格の系譜

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マインツは2016/17シーズン限りで監督の座を退いたマーティン・シュミットの後任に、Uー23チームの指揮官だったサンドロ・シュワルツを任命した。マインツにとっては過去に実践して成功を収めてきた“内部昇格”の人事である。

シュワルツがシュミットの後任としてマインツの指揮官になるのは今回で2度目。2015年にはブンデスリーガ3部を戦うUー23チームを指揮していたシュミットがトップチームの監督に就任し、シュワルツがその後を引き継いでいる。ほとんどのクラブとは違い、マインツにはクラブ内部の人間をトップチームの監督に昇格させてきた伝統がある。その監督人事の歴史を見ていこう。

ユルゲン・クロップ(2001年2月ー2008年6月)

ドルトムントに2度のブンデスリーガ優勝をもたらし、圧倒的な人気を誇ったユルゲン・クロップ監督。彼が初めて率いたトップチームは、当時2部で低迷していたマインツだった。

クロップは現役選手としてグロイター・フュルト戦に出場した数日後にマインツの暫定監督に就任すると、“ピッチ上の監督”としてチームを統率していた選手時代と同様にリーダーシップを発揮。7試合で6勝を挙げ、元チームメートたちを降格圏から救い出すことに成功した。

その後、2シーズン連続で2部リーグで4位となり、2004年にクラブ史上初のブンデスリーガ昇格を達成。3シーズンにわたってブンデスリーガで指揮を執った。その後、2007/08シーズンに2部降格を強いられ、2008年4月に「昇格を逃した場合は辞任する」と明言。結局、そのシーズンは4位にとどまり、クロップは宣言どおり辞任することになった。

- © DFL DEUTSCHE FUSSBALL LIGA / Dennis Grombkowski

マーティン・シュミット(2015年2月ー2017年5月)

マインツはトゥヘルの後任としてデンマーク人のカスパー・ヒュルマンドを監督に任命。ELこそ本戦出場を逃してサポーターを失望させたが、ブンデスリーガでは開幕から8戦無敗と好調な滑り出しを見せていた。しかし、第21節に14位まで順位を下げるとヒュルマンドは解任。クラブは2010/11シーズンからUー23を指揮し、チームを3部に昇格させていたマーティン・シュミットをトップチームの監督に抜擢する。

シュミットは降格の危機にあったチームを順位表の中段まで引き上げると、翌2015/16シーズンには5位に食い込んでクラブに再びEL出場権をもたらす。ELの舞台では決勝トーナメント進出こそ逃したが、グループステージ6試合でわずか1敗と欧州の舞台でも堂々とした戦いぶりを見せた。

しかし、ブンデスリーガではシーズン後半のほとんどを降格回避のための戦いに費やし、ギリギリの15位で残留するのがやっと。この結果を受けてクラブはシュミットと袂を分かつ決断を下した。

- © gettyimages / Alex Grimm