ウォルフスブルクについて紹介する。

(1)親会社

ウォルフスブルクというクラブを語る上で避けて通れないのは、親会社フォルクスワーゲンの存在だ。本拠地から約1kmのところに同社の巨大な工場が建設されており、また、サッカーに熱を入れるマーティン・ウィンターコーン氏がフォルクスワーゲンのCEOに就任してからというもの、クラブはこの大企業から強力なバックアップを得て、補強に巨額資金を投入。ブンデスリーガの常連にまで成長した。

(2)ブンデスリーガ制覇

2007年6月にフェリックス・マガト監督が就任。"時代遅れの指導者”と揶揄されることもある同監督だが、ウォルフスブルクを鍛え上げ、2008/09シーズンにはブンデスリーガ初優勝を果たしている。現在アイントラハト・フランクフルトに所属する長谷部誠も当時の優勝メンバーの1人で、またディエゴ・ベナーリオとマーセル・シェーファーの2人は、今もウォルフスブルクでプレーする数少ない選手である。

(3)夢の2トップ

リーグ優勝に多大な貢献を残したのは、やはりエディン・ジェコとグラフィッチという夢の2トップだろう。この年、グラフィッチは28ゴール、ジェコは26ゴールをそれぞれマークし、その勢いはどのクラブも止められなかった。2015/16シーズンにバイエルン・ミュンヘンのロベルト・レバンドフスキが30ゴール、トーマス・ミュラーが20ゴールを決めているが、グラフィッチ&ジェコのシーズン54ゴールというブンデスリーガ史上最多の記録には到達できなかった。

(4)女子サッカー

前身は1973年創設のVfRアイントラハト・ウォルフスブルク。2003年にウォルフスブルク女子チームに組み込まれている。その後、一時は2部に降格したこともあったが、1年でブンデスリーガ復帰を果たすと、徐々に順位を上げていき、2012/13シーズンにはリーグ初優勝に加え、ドイツサッカー連盟カップ(DFBポカール)と欧州チャンピオンズリーグ(CL)も制し、見事3冠を達成。その翌季もブンデスリーガとCLの2冠に輝いた。日本人では永里優季が2015年1月から半年間在籍している。

(5)心のナンバー10

まだウォルフスブルクがブンデスリーガに初昇格を果たしたばかりの1998年、ポーランドから1人の若手が加わった。彼の名はクシシュトフ・ノバク。クラブ加入から10番を背負い、ポーランド代表でも活躍した選手だ。しかし2000年末、筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患っていることが発覚。病気の進行は速く、翌年2月10日のヘルタ・ベルリン戦が彼にとってのラストゲームとなり、2005年5月26日に帰らぬ人となってしまった。なお、ノバクは生前、クラブの協力を得て、2002年5月2日に「クシシュトフ・ノバク財団」を設立。同財団は、ALSに苦しむ患者の支援や、治療方法の研究資金援助を行っており、サポーターから「心のナンバー10」と呼ばれたノバクの意思は、今も引き継がれている。