武藤嘉紀が所属するマインツを紹介する。

1、ユルゲン・クロップ

同クラブで一番の有名人といえば、ユルゲン・クロップ監督(現リバプール/イングランド)だ。1990年〜2001年まで、選手として325試合に出場。現役最後の試合となったフュルト戦(2000/01シーズン、第23節)の3日後、暫定監督としてマインツを指揮した。当時12カ月の間に5回の監督交代を行っていたマインツだが、シーズン終了後に同氏が正式に監督に就任すると、チームは安定。そして2003/04シーズン、悲願のブンデスリーガ昇格を果たした。

2、遅咲き

チームは「Nullfünfer  (ヌル・フュンファー)」と呼ばれることがあるが、これはドイツ語で「05」という意味。その数字が示す通り、創設されたのが1905年と歴史のあるクラブなのだが、ブンデスリーガへ昇格するまでは長い道のりだった。

3、フンバ

マインツ発祥の凱歌は「フンバ」(Humba)と呼ばれ、現在ではブンデスリーガの他クラブにも広まっている。試合後、その日の主役やムードメーカーが中心となり、サポーターに「Give me an H, Give me a U, Give me an M, Give me a B, Give me an A」と呼びかけた後、選手とサポーターが一体となり、歌って、踊って、お祝いする。

4、Bruchweg Boys

2009/10シーズンにトーマス・トゥヘル監督(現ドルトムント)が就任。チーム史上最高の5位となった翌シーズン、ゴールを量産した攻撃トリオ、アンドレ・シュアレ(現ドルトムント)とルイス・ホルトビー(現ハンブルガーSV)、アダム・ソロイ(現ホッフェンハイム)は当時のスタジアムの名前から、まるでロックバンドのように「Bruchweg Boys」と呼ばれていた。

5、岡崎&武藤

マインツが日本で知られるようになったのは、間違いなく岡崎慎司(現レスター・シティー/イングランド)の貢献が大きい。岡崎は2013/14シーズンにシュトゥットガルトから移籍し、2シーズンで27得点を挙げた。これは、同クラブのブンデスリーガ得点記録2位となっている。また、2014年9月13日(第3節)には奥寺康彦氏のブンデスリーガ日本人最多得点記録(当時26)を破り、その数を37まで伸ばした。

岡崎と入れ替わる形で、2015/16シーズンにFC東京から武藤が加入。岡崎の後継者として期待される中、ブンデスリーガ3試合目に初得点を決めると、その試合で2得点目もマーク。これは、歴代日本人選手で最速の1試合2ゴールとなった。さらに第11節には高原直泰に次ぎ、日本人2人目となるハットトリックを達成。早い段階で岡崎の代わりというレッテルを払拭した。