MF長谷部誠が2008/09シーズンにウォルフスブルクでマイスターシャーレ(優勝皿)を勝ち取り、その数年後にはドルトムントのMF香川真司もリーグ連覇と国内2冠を達成。DF内田篤人は強豪シャルケを欧州チャンピオンズリーグ(CL)ベスト4に導き、その後もFW岡崎慎司、MF清武弘嗣、FW武藤嘉紀らが続々と海を渡ってきた。今やブンデスリーガにおける日本人選手の活躍は、決して珍しいことではなくなっている。

しかし、ある男の存在抜きに、彼らが収めてきた成功のストーリーを語ることはできない。38年前のきょう、1977年10月22日は、“先駆者”奥寺康彦氏が日本人で初めてブンデスリーガのピッチに立った記念すべき日である。

デビュー戦勝利 しかしPKを献上

ケルンとの正式契約から約2週間、背番号11をまとい、デュイスブルクとのアウェー戦に左MFで先発出場した奥寺氏だったが、気合いが入りすぎていたせいか、ペナルティーエリア内でFWヘアベアト・ビュッサースにファウル。デュイスブルクにPKを与えてしまうが、この翌年からドイツ代表に招集されるGKハラルト・シューマッハーがこれをがっちりとキャッチし、ピンチを逃れることに成功した。しかし、その後もケルンは劣勢。先述のビュッサース、FWテオ・ビュッカーらに決定機を作られ、あわや失点というシーンが幾度となく訪れた。だが幸運にもボールは枠の数十cm外にはずれ、ピンチを耐え抜いたケルンが徐々に試合のペースを握りだす。

結果的にケルンは前半のうちに2点を先行し、後半1点を返されるも、2-1で勝利。奥寺氏は75分にMFディーター・プレスティンと交代でベンチに下がったが、周囲との連携はまだ不十分で、本人にとっては決して満足のいく試合ではなかっただろう。

レジェンドの口説き そして月間最優秀ゴール賞

しかし当時のブンデスリーガは欧州最高峰との呼び声高く、その中でもケルンは優勝候補に挙げられていた名門クラブ。当時、サッカー発展途上国だった日本の青年が所属するというのは“ありえない”出来事だった。しかも、同クラブを率いていたヘネス・バイスバイラー監督は、ドイツ代表コーチを務めた後、メンヘングラートバッハ(ボルシアMG)黄金期の礎を築いた指揮官であり、死後30年以上がたった今でも尊敬を集める人物である。そのドイツサッカー界のレジェンドが直々に口説き落としにきたということだけでも、いかに奥寺氏への期待が高かったかが分かるはずだ。

そしてその期待通り、同氏はシーズン途中からの加入ながら、20試合に出場し4得点を記録。そのうち1978年4月に決めた豪快なダイビングヘッドは、現在も放送が続いているドイツ第1国営放送局のスポーツ専門番組『Sportschau』の月間最優秀ゴール賞にも輝いている。

“東洋のコンピューター”の異名を持ち、多くのドイツ人に衝撃を与えた奥寺氏。その功績が色褪せることは、決してない。