マインツ武藤、スペシャルインタビュー
ブンデスリーガのスター選手の「ルーツ」を探る企画に、現在マインツで大ブレーク中の武藤嘉紀が登場。本編の動画では収まりきらなかったインタビューの全貌を紹介する。(インタビュー日:2015年10月28日)
ドイツでの新生活
「悪ガキで負けず嫌い」
――生まれ育った場所はどこですか?
武藤 ずっと東京ですね。生まれは港区、育ちは世田谷。
――世田谷は今暮らしているマインツとはまったく違う場所だと思いますが、世田谷を知らない人に説明するとしたら、どう表現しますか?
武藤 なんですかね。とにかく住宅が多い。マインツのように自然豊かというわけではなくて、とにかく人が密集している。だから、子どもの遊びがどちらかに分かれますよね。家の中で遊ぶ子と、公園を見つけてサッカーだったり野球だったりをする子がはっきり分かれる町なんじゃないかなと思いますね。
――武藤選手はどちらのタイプだったのでしょうか?
武藤 僕はずっと外で遊んでましたね。
――ご両親からは武藤選手の子ども時代について、どのような話を聞いていますか?
武藤 もう悪ガキで負けず嫌いな子どもだったっていうのは、どの人にも言われますね。
――そういったエピソードはありますか?
武藤 姉が2人いて、姉のために二段ベッドを買ったらしいんですよ。すごく良いベッドだったらしいんですけど、4歳くらいだった自分がそれを買ってきた当日に、二段ベッドの上でばんばんはねて粉砕してしまったっていう出来事はいまだに言われますね。
――武藤選手がサッカーを始めたきっかけは何だったのでしょうか?
武藤 小さい頃からボール遊びが好きで、とにかくパワフルだったので、母親やおばあちゃんがいつもボールを使って外で遊ばせてくれてたというのが、まず最初だと思います。その後で幼稚園に入ってから、4歳の頃かな、その幼稚園にサッカーチームがあって入ろうってなったのが、チームでサッカーをするようになったきっかけですね。
――野球やバスケットボールがある中で、サッカーを選んだ理由は?
武藤 足を使うことが好きだったんじゃないですかね。野球に関しても、バスケットに関しても全然興味が沸かなかったですし、とにかく足でボールを蹴ること。やはり足ってうまく使えないわけじゃないですか。それがどんどん上達することが楽しくて。手だったら、手先はやはり器用だから、感覚はそれほど変わらないと思うんですけど、足は使えば使うほど自分が思うように動いたり、ボールでも扱うのがどんどんうまくなっていくっていう実感があったから、それが楽しかったんじゃないかと思います。
――昔憧れていた選手は?
武藤 マラドーナ選手です。
――マラドーナの真似をしたこともあったのではないですか?
武藤 ずっとしてましたね。父親がビデオを買ってきて、マラドーナが10歳くらいの時のリフティングしている姿を見て、10歳になった時にこれくらいできるようになろう、と親と話して。もう朝起きて学校行く前にずっとリフティングの練習をしてから、学校に行ってました。
――お父さんは武藤選手がサッカーに打ち込むことを喜んでいたようですね。
武藤 父親はサッカーをやっていたわけではないんですけど、サッカーにのめり込んでる自分に対して何かサポートできないかと考えたときに、そういうのを見つけてきて、見せるようにしていたのではないかと今になって思います。
――ご両親からはどのような教育を受けていましたか?
武藤 厳しかったのかな。何をやるにおいても、全力でやれということは言われていましたし、それは勉強であっても、サッカーであっても、どっちかが良くて、どっちかが悪いというのは、何て言うんだろう、許されないし、それは恰好悪いとずっと言われて育ってきたので。自分が挑戦しようと思ったことに対しては100%で臨むということを指導というか、教育を受けてきましたね。
―― 武藤選手がプロになろうというとき、背中を押してくれましたか?
武藤 そうですね。やっぱり自分が真剣にやっていることだったり、自分がこれをやりたいということには絶対に反対しない親だったので、背中を押してくれる両親のためにもやっぱり頑張らなきゃいけないというのは、高校生・大学生くらいの時からありました。自分にとってベストなサポートをしてくれていたので、なんとかそれが実るように、良い結果になるようにしなきゃいけないなとは思っていました。
―― 海外移籍の話が出た時、ご両親の反応はいかがでしたか?
武藤 「あなたが思った通りにすればいい」と言われましたね。「あなたが進む道は一番良い道になると思うから、その時の勘だったりを信じてチーム選びもしてみなさい」と言われ、その言葉もあってマインツに移籍しようと思いましたね。
いざ、海外挑戦
――武藤選手が大学進学を選んだ理由というのは?
武藤 海外では大学を出てプロになるのはあまりないというか、遅いのではと思うんですけど、日本では高校に行ってからプロになるか、大学に行ってからプロになるか、 だいたい半々くらかな。18歳のときに今から自分がプロになってサッカーだけで飯を食っていく、サッカーだけで生活していく自信がなかった。まだその実力が自分には伴ってないと思ったから大学に進学して、そこで力をつけて、そこからプロに行こうと思いました。
―― プロ入り前の3年間、慶応大学のソッカー部に所属していました。プロではできなかったであろう経験はありますか?
武藤 やっぱり自分のためだけにサッカーをするのではないということ。大学の団体というのは、レギュラーで出ていても、出ていなくても自分たちでグラウンドだったり、サッカーをするための用意をします。プロだったらそれを全部やってくれて、サッカーをするだけの環境です。大学ではそうやってチームメイトと一緒に、(試合に)出てる、出ていないに関係なくチーム一つとしてみんなで動く。その協調性だったり、連帯して動くというのはプロでは味わえないことだったかなと思いますね。
――海外移籍を意識するようになったのはどのタイミングですか?
武藤 日本代表に入ってきてからじゃないですかね。
――それは代表のチームメイトが海外で活躍しているから?
武藤 そうですね。やっぱり代表のチームメイト、他の先輩たちが海外でプレーしている姿を見たり、経験談を聞いたときに自分もいち早く厳しい状況に身を置いてプレーしなきゃいけないなというのは感じました。
――逆にそれまではあまり海外サッカーを見たりとかは?
武藤 そんなに見たりとかはしなかったですね。日本でやっていたわけなので、まず結果を残さないとそういう話にもならないと思っていたので。それは頭から除外して、とにかく日本のサッカーに集中しようと思っていました。
――人生の中で一番感謝している人、自分に最も影響を与えた人は誰ですか?
武藤 両親はもちろんですけど、いっぱいいますね。人に助けられて、良い出会いに恵まれた人生だなって自分でも思います。