香川真司が所属するドルトムントは2015年4月19日、2014/15シーズン限りで退任が決定したユルゲン・クロップ監督の後任として、2013/14シーズンまでマインツを指揮していたトーマス・トゥヘル氏が新監督に就任することを発表した。トゥヘル氏について知っておきたい10の事柄を紹介する。

無名の現役時代

1973年8月29日生まれ。サッカー選手としては地元のTSVクルムバッハのユースチームに所属後、アウクスブルク(当時4部)を経て、1992年にシュトゥットガルト・キッカーズと契約を結ぶ(当時2部)。しかし、出場機会に恵まれず(8試合出場)、SSVウルム(当時3部)へ移籍し、69試合に出場。ひざの軟骨を負傷し、25歳で現役を引退した。

ラングニック氏の影響

引退後はウルム時代にラルフ・ラングニック監督(現ライプツィヒ監督/右写真)から刺激を受けたこともあり、指導者の道へ進む。シュトゥットガルトのU−19チームで5年間指導した後、アウクスブルクに戻ってユースチームのコーディネーターを3年務める。2008/09シーズンにマインツのU−19チームを優勝へ導くと、プロチームでの指導経験がないにも関わらず、2009年夏に同クラブトップチーム監督に就任した。

クラブ史上初のEL出場

ブンデスリーガ監督1年目は9位でフィニッシュ。翌2010/11シーズン、バイエルン・ミュンヘンとのアウェー戦での大金星を含めて7連勝を飾ると、5位で終了。クラブ史上初となる欧州リーグの出場権を獲得した。しかし、満を持して臨んだ同大会ではリーグ予選3回戦で敗退となった。

1部定着も停滞

2011/12、2012/13シーズン、チームは13位に沈んだ。2013/14シーズンの最終節、マインツはハンブルガーSVに3-2で勝利して7位となり、欧州リーグの出場権を再び手に入れる。しかしその24時間後、1年の契約期間を残して同クラブを去ることを表明した。

明確なビジョン

マインツ監督時代、戦術に長けた若い監督の一人として名声を得た。トゥヘル監督は目的に合わせてフォーメーションを頻繁に変更。その一方で、彼独自の基本を忠実に守るという一面もある。Zeit紙のインタビューでは「自分には確かなスタイルがある。攻撃的なサッカー、それをマインツでやっている。自分はアクティブなプレースタイル、大胆な守備、速い攻撃を好んでいる」と話している。

マインツ史上最高の指揮官

トゥヘル氏はマインツで最も成功した監督である。1試合平均の勝ち点数は1.41。これはチームを1部昇格に導いたユルゲン・クロップ監督の1.13を上回っている。ちなみに、トゥヘル氏の後任となったカスパー・ヒュルマンド前監督の平均勝ち点は1.05だった(ことし2月に解任)。また、トゥヘル氏が在任した5年間でマインツは敗戦(61)よりも勝利(65)の数が多く、229得点を挙げている。

多くの才能を発掘

優秀な選手を獲得することにも定評がある。アダム・ソロイ(現ホッフェンハイム)をレアル・マドリードから、ルイス・ホルトビー(現ハンブルク)をシャルケから期限付きで獲得。この2選手とアンドレ・シュアレ(現ウォルフスブルク)はゴールを量産し、以前のスタジアム名から「Bruchweg Boys」(ブルヒヴェーク・ボーイズ)と呼ばれて人気を博した。また、マキシム・チュポモティング(現シャルケ)やユヌス・マリ、ユリアン・バウムガートリンガー、ロリス・カリウス、ヨハネス・ガイス(現シャルケ)、岡崎慎司(現レスター・シティ)らをチームに引き抜いている。

偶然の一致

2013/14シーズンの終わりにマインツを退任してから約1年、4月19日にクロップ監督の後任として、2015/16シーズンからドルトムントの監督に就くことが発表された。契約は2015年7月1日からの3年間。奇しくもクロップ監督とトゥヘル監督のキャリアは重なるところがある。クロップ監督はドルトムント監督に就任する以前はマインツで指揮を取っており、トゥヘル監督はその当時、同クラブのU−19チームを率いていた。

模範はグアルディオラ監督

クロップ監督との共通点が多いが、トゥヘル氏が参考にしているのはバイエルンのジョゼップ・グアルディオラ監督のようだ。「図式化された素晴らしいボールの回し方、個で突出したメッシ(FCバルセロナ/アルゼンチン代表)のような選手やスター軍団を率いて、私が今まで見た中で最も献身的な守備をしてみせた。特にバルセロナ時代のグアルディオラ監督の試合からはあらゆることを学んだ」と回顧している。

バートシュトゥーバー氏が恩師

最も影響を受けたのはシュトゥットガルト時代の故ヘルマン・バートシュトゥーバー氏(右写真)。「あれほど専門的な知識があり、創造的な考え方をし、自分自身に多く問いかけながらハードワークをし、謙虚な姿勢を保っている監督を知らない。彼からは人として、プロとして多くの影響を受けた。自分にとって『スポーツの父』と言えるだろう。彼が亡くなったときは本当に悲しかった」と話している。バートシュトゥーバー氏は2009年に53歳の若さでこの世を去った。息子は現在バイエルンに所属するドイツ代表のホルガー・バートシュトゥーバーだ。