ラオバル会長がワルター氏とフローエ氏をしのぶ

リーグ協会のラインハート・ラオバル会長は6月17日、元西ドイツ代表のオットマー・ワルター氏とハインツ・フローエ氏への弔辞を発表した。

「オットマー・ワルター氏とハインツ・フローエ氏の逝去で、ともにW杯優勝を果たした偉大な選手を失うこととなった。両氏は現役時代のクラブと何十年にもわたって強い絆で結ばれていた。これは、今日では非常に珍しいことだ。当時の選手たちにとってもあこがれの存在で、チームにも大きな影響を与えた。オットマー・ワルター氏はブンデスリーガ創設前、カイザースラウテルンで321試合に出場しており、1951年と53年にはドイツ選手権で優勝。一方、ハインツ・フローエ氏はケルンなどでブンデスリーガ戦343試合に出場し、ドイツ選手権で2度、DFB杯で1度優勝を果たしている。その後、1860ミュンヘンで現役を引退してからは、ケルンで若手の育成を指揮していた。ドイツサッカー界は両氏の功績をたたえるとともに、深い哀悼の意を表したい」。

オットマー・ワルター氏は西ドイツ代表FWとして1954年ワールドカップ(W杯)スイス大会で、当時の西ドイツにW杯初優勝をもたらした。地元カイザースラウテルンでも活躍し、ブンデスリーガのなかった当時、ドイツ選手権の2度の優勝にも貢献。6月16日、カイザースラウテルンで亡くなった。89歳だった。

ハインツ・フローエ氏は1970年代ケルンでブンデスリーガ329試合に出場したMF。奥寺康彦氏の在籍したシーズン、ケルンの主将として1978年のブンデスリーガ優勝にも貢献した。西ドイツ代表としては地元で開催された1974年W杯の優勝を経験。6月15日、ケルン南部にある郷里のオイスキルヘンで亡くなった。65歳だった。