10の視点から

2012/13シーズン、ドイツ男子サッカー史上初の3冠を果たした王者バイエルン・ミュンヘン。2013年6月1日のDFB杯優勝でその3つ目のタイトルを獲得、4日にはユップ・ハインケス監督の退任会見が行われた。だが早くも来季始動日の26日には、新たな幕開けが控えている。スペイン出身のジョゼップ・グアルディオラ新監督(42)が初めてバイエルンの練習を率いる。


2012年夏までの4シーズン指揮を執ったバルセロナ(スペイン)を世界最高といわれるチームに仕立てたグアルディオラ氏。長く輝かしい伝統を誇るドイツ王者バイエルンにも、多くの変化が訪れるとみられる。新監督には過去最高だったバイエルンの今季の成績が「まぐれ」ではなかったことを証明する使命があるだけでなく、本人が独自の哲学をバイエルンにもたらしたいと考えているからだ。

一体どんな人物なのか。誰もが知っているようで実は知らない、愛称ペップ、ジョゼップ・グアルディオラ氏の人物像に焦点を当て、10の興味深い視点を探る。

1971年1月18日、スペイン・バルセロナの北方70キロメートルほどに位置するサントペドールという人口6500人の小さな村の生まれ。父バレンティさんは左官職人、母ドロルスさんは主婦。姉2人と弟1人の4人姉弟の3番目だ。

サッカーへの情熱は早くに目覚めた。村の中央広場で四六時中ボールを蹴っていたため、誰もが知っているほど村では有名な少年だった。現在、この村のグランドは、グアルディオラ氏にちなんで名付けられている。

18歳の時からクリスティーナ・セラさんとともに過ごしている。サントペドールから8キロ離れた町マンレザにある、クリスティーナさんの両親が営む洋服店で知り合ったという。結婚から既に22年経ち、子供は3人。2001年に長女マリアが、2003年には長男マリウス、2008年に次女バレンティナが生まれた。

子供の頃から人を引きつける魅力があり、周囲を納得させることのできる能力を発揮していた。故郷の村でのサッカーの試合では先導してチームを分け、学校では常に学級委員に選ばれた。教え子であるスペイン代表DFピケ(バルセロナ)は「信じられないほどの権威があり、天性のものだと思う。わざと大声を出したり机を叩いたりすることを必要としない。選手は自然と信頼するようになる」と師を評している。

語学の才能もある。母語カタルーニャ語とスペイン語のほか、カトリック系の全寮制学校にいた7歳のころすでに最初の英単語を話したという。イタリア語はブレシア(イタリア)所属時代に学んだ。現在はドイツ語の勉強に勤しんでいる。

部屋の壁に、切り抜きやポスターを多く飾るような子供ではなかったという。だがそんな少年が壁に1枚貼っていたのが、ユベントス(イタリア)などで活躍した元フランス代表MFで現在欧州サッカー連盟(UEFA)会長のミシェル・プラティニの大写真だった。バルセロナに入団した後、世界的なスター選手にサインを願う機会に恵まれたが、プラティニ氏はサインをしなかったとか。

プライベートはほとんど明らかになっていないが、芸術家と親交が深いことで知られる。特に昨夏バルセロナを退団した後にニューヨークで過ごした休暇中(写真、©Imago)は芸術に没頭したという。親友の1人、映画監督で作家のダビド・トゥルエバ氏は周囲に「グアルディオラのことを分析、評価したいなら、エレガントなスーツ、カシミヤのセーターとネクタイを着た人物が左官職人の息子であることを知っておくべきだ。高級なイタリア靴の中には、職人靴の心が隠されている」と話している。

グアルディオラ氏とクリスティーナ夫人は、原則として個別インタビューは受けない。その代わり、監督業を始めた頃からずっと、記者会見では詳しく語り、質問にも答える。質問を拒否したり答えないということはない。何年も前に友人から「インタビューを受けるな。だが自分がジャーナリストよりもいい職に就いていると思うな。自分の仕事が彼らの仕事より重要だと考えるな」という助言を受けたといわれる。

バルセロナの監督時代には、さまざまな分野で延べ24人のアシスタントがいた。しかし試合分析に関しては、自分の考えしか信頼しなかった。そのため、スタジアムの地下に約20平方メートルの窓のない小さな部屋を造らせ、試合数日前に次の対戦相手のDVD2、3枚を数時間観たという。その部屋を去る時には、ほぼ常に正しい戦術を考え出していたのだろう。

バルセロナを率いた4シーズン、可能とされる最大19のタイトルのうち、延べ14個を獲得した。前人未踏の記録は2008/09シーズンに達成。スペインリーグ、スペイン国王杯、欧州チャンピオンズリーグ(CL)、スペイン・スーパーカップ、UEFAスーパーカップ、FIFAクラブ対抗世界選手権の、1シーズン6タイトルである。

バルセロナなどでクラブチームの選手としては輝かしいキャリアを築いたが、代表選手としてはいまひとつ。スペインA代表では47試合出場5得点。W杯では1994年米国大会のみ出場し、1998年、2002年大会は逃した。21歳で出場した地元のバルセロナ夏季五輪では金メダルを獲得している。

ミヒャエル・ライス(Michael Reis)