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長谷部、偉業達成までの道程(後編)

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アイントラハト・フランクフルトの長谷部誠が3月5日のフライブルク戦でブンデスリーガ通算235試合出場を達成し、奥寺康彦氏が保持していた日本人最多出場記録を31年ぶりに更新した。チームは1ー2で敗れたが、長谷部はゲームキャプテンとして最後まで攻守に奮闘。試合後は敗戦を悔やみながらも、「今までサッカー選手として突き詰めてやってきた部分はあるので、それが結果や記録として評価されるのはうれしい」とブンデスリーガ在籍10年目での偉業を喜んだ。「いい時だけでなく、そうでない時も経験してきた」——。本人がそう語るドイツでの歩みを振り返る。

移籍、残留争い、そしてチームのリーダー格に

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順風満帆だった長谷部のキャリアに逆風が吹き始めたのは、ブンデスリーガ4年目の2010/11シーズンだった。ウォルフスブルクは開幕3連敗を喫するなど序盤から低迷。最終節まで残留争いに巻き込まれ、最終的には15位でシーズンを終えることになる。長谷部はアジアカップ参戦による一時離脱もあり、リーグ戦の出場は23試合止まり。試合終了のホイッスルをベンチで聞く機会も増えた。3月のマガト監督の復帰でチームは本来の姿を取り戻すかに思われたが、それは長谷部にとってさらなる試練の始まりだった。

2011/12シーズン、クラブは新戦力10人を加える大型補強を敢行し、リーグ成績は15位から8位へアップした。しかし、メンバーが目まぐるしく入れ替わる中で、試合ごとに異なるポジションで起用された長谷部は持ち味を発揮できず。GKが退場した第6節のホッフェンハイム戦では両手にグローブをはめたことさえあった。第32節のマインツ戦では先発しながら前半のみで途中交代。以降、メンバー外となる不遇を味わい、シーズン終了後には事実上の戦力外となってしまう。

ウォルフスブルクは長谷部の移籍を容認していたものの、新天地が見つからないまま2012/13シーズンがスタート。開幕から8試合連続でベンチ外という不遇の時を過ごした。それでも、マガト体制に終止符が打たれるとようやく出場機会を獲得。一時は最下位に低迷していたチームも上昇の兆しを見せた。一方で、1月に就任したディーター・ヘッキング監督は長谷部を右サイドバックに固定。本職ではないポジションでの起用にフラストレーションを溜めていった。

2013/14シーズンもウォルフスブルクで開幕を迎えたが、移籍期限最終日の8月31日にニュルンベルクへの移籍を決断。5年半過ごしたクラブに別れを告げる。新天地で自らが強いこだわりを持つボランチでの出場機会を得た長谷部は、第5節から13試合連続フル出場を果たすなど本来の姿を取り戻しつつあった。しかし右膝の負傷で離脱を強いられると、時を同じくしてチームも低迷。満身創痍のまま最終節に強行出場したものの、クラブを2部降格の危機から救うことはできなかった。

- © gettyimages / Alex Grimm