Summary

  • フランクフルト長谷部がブンデスリーガ234試合に出場
  • 奥寺氏の日本人最多出場記録に並んだ
  • 日本人ブンデスリーガー第1号の奥寺氏の功績を振り返る

アイントラハト・フランクフルトの長谷部誠が2月25日、第22節のヘルタ・ベルリン戦でブンデスリーガ通算234試合目の出場を果たし、奥寺康彦の持つ日本人のブンデスリーガ最多出場記録に並んだ。ここで約30年の間、最多出場記録を保持してきた同氏の偉業を振り返る。

奥寺は1977/78シーズンにケルンに加入。日本にプロサッカーリーグ(Jリーグ)が誕生する約15年前に海を渡り、ブンデスリーガはもちろん、ヨーローパのリーグに所属する日本人選手第1号となった。

1977年10月22日のデュイスブルク戦でデビューし、1年目はリーグ20試合に出場した。この年は“わずか”4ゴールを挙げたに過ぎなかったが、この得点がケルンの運命を左右することに。終盤の第32節カイザースラウテルン戦で初ゴールを記録すると、第33節シュトゥットガルト戦でもゴールを挙げ、チームは連勝する。1試合を残し、首位ケルンと2位メンヘングラートバッハ(ボルシアMG)の勝ち点は同46。得失点差は10も離れていたが、何とボルシアMGは最終節でドルトムントに12-0で大勝する。しかし、ケルンは奥寺の2ゴールなどでザンクト・パウリに5-0で勝利。ボルシアMGに得失点3差で競り勝ち、ケルンはブンデスリーガ創設年以来となる2度目の優勝を成し遂げた。残り3試合での奥寺のゴールがなければ、ケルンはこの栄冠には届かなかっただろう。

第33節のシュトゥットガルト戦で先制点を決めたフローエ(右)と決勝点を挙げた奥寺

またケルンは同年、ドイツサッカー連盟カップ(DFB杯)でも優勝し、奥寺は1年目にして、二冠を達成した。

1980年11月に当時2部のヘルタ・ベルリンに移籍したが、1981/82シーズンにブレーメンに入団し、ブンデスリーガに復帰。ブレーメンも同じタイミングで1部への再昇格となったが、ハンブルクバイエルン・ミュンヘンと覇権を争い、奥寺が所属した1986年までに3回の準優勝を果たしている。

5シーズン所属したブレーメンでは159試合に出場した

奥寺がブンデスリーガでの一歩を踏み出してから40年、これまで27人の日本人選手が同リーグで出場を果たした。奥寺に続いて長谷部が2008/09シーズンにウォルフスブルクで、香川真司が2010/11、2011/12シーズンにドルトムントでマイスターシャーレ(優勝皿)を掲げると、ブンデスリーガへ活躍の場を移す日本人選手は増えた。2014/15シーズンには過去最多の13選手が所属。今日では屈強な選手を相手にプレーする日本人選手の姿は、ブンデスリーガで当たり前の光景となった。

それでも、現役のブンデスリーガーたちはこう言う。

「プレーしている時代が違うので、簡単に比較もできないと思う。自分は例えその数字を抜いたとしても、奥寺さんのファーストインパクトには敵わない」

(長谷部誠、ブンデスリーガ通算200試合目に出場後のコメント

「奥寺さんが“ブンデスリーガへの道を開いてくれた”というイメージをサッカー選手は持っています。(中略)最初に行動を起こすのは大変なことだし、しかも何十年も前のこと……。皆が奥寺さんのことを尊敬していると思います」

(大迫勇也、2017年2月15日に実施したインタビューにて)

長谷部は次節3月5日、日本人最多出場記録を塗り替えるだろう。しかし、日本人として初めてヨーロッパに挑戦し、成功を収めた奥寺康彦の偉業が色褪せることはなく、今後もその歴史は語り継がれていく。

長谷部が2月25日、奥寺氏が30年保持してきたブンデスリーガ日本人最多出場記録に並んだ

日本人選手出場ランキング

1位   奥寺康彦(1977-80、1981-86)    234試合
1位   長谷部誠(2008-)   234試合
3位   高原直泰(2003-07)   135試合
4位   酒井高徳(2012-)   130試合
5位   岡崎慎司(2011-15)   128試合

 

日本人選手得点ランキング

1位   岡崎慎司(2011-15)   37得点
2位   香川真司(2010-12、2014-)    35得点
3位   奥寺康彦(1977-80、1981-86)   26得点
4位    高原直泰(2003-07)   25得点
5位   清武弘嗣(2012-16)   17得点

データは2017年2月25日現在