Summary

  • ユップ・ハインケス氏がバイエルンの監督に就任
  • バイエルンを率いるのは通算4度目
  • 2012/13シーズンにはバイエルンでドイツ史上初の三冠を達成

ユップ・ハインケス監督がカルロ・アンチェロッティ氏の後任としてバイエルン・ミュンヘンの指揮官に電撃復帰を果たした。バイエルンで“第4期政権”をスタートさせる72歳の名将が、選手、監督として50年以上にわたってドイツサッカー界に残してきた足跡を振り返る。

1)フォース(4回目)と共にあらんことを…

ハインケス氏がバイエルンの監督に就任するのは今回で4度目。初めての指揮は1987年から1991年の間で、クラブに2度のリーグ優勝をもたらしている。その後、1991年10月に当時の会長だったウリ・ヘーネス氏によって解任されたが、2009年4月にユルゲン・クリンスマン氏の後任として2度目の就任。残り5試合で4勝を挙げてチームを2位に引き上げ、就任時には誰も予想していなかった欧州チャンピオンズリーグ(CL)の出場権を獲得した。

2011年に3度目の就任を果たすと、2012/13シーズンにドイツ史上初のブンデスリーガ、ドイツサッカー連盟カップ(DFB杯)、CLの三冠を達成。監督キャリアで最高の栄誉を手にする。シーズン終了後、「過去2年間で様々なことが起きた。平和で静かな日々を送る準備はできている」と語り、事実上の引退を表明したが、復帰の可能性について「絶対にない」とは言っていなかった。

2)偉大な監督へ

ハインケス監督は10人兄弟の9番目としてメンヘングラートバッハで生まれた。サッカー選手になる前は鍛冶屋の息子として左官になるための勉強に励み、建築家になることを夢見ていたという。生まれ故郷との縁は現在も深く、今も妻のイリスさんとメンヘングラートバッハ郊外にある小さな農場に住んでいる。ちなみにメンヘングラートバッハは、ハインケス氏とチームメートだったギュンター・ネッツァーやバルセロナのGKマルクアンドレ・テアシュテーゲンの出身地でもある。

誰もがハインケス監督にとってのラストマッチになると思っていた2013年5月の試合、会場は自身の故郷であり、古巣でもあるメンヘングラートバッハ(ボルシアMG)の本拠地ボルシア・パークだった。バイエルンが4ー3で勝利した試合後、ホームとアウェーの両サポーターから大喝采が送られると、ハインケス監督は「私のホームはここだ」と感動していた。史上8人しか成し得ていない「三冠」という偉業を達成しての引退。ハリウッド映画でも考えられないような完璧な幕引きだったが、これは一つの章の終わりでしかなかった。

3)選手時代の活躍

ハインケス氏は監督として非常に有名だが、地元クラブの選手としても立派な成績を残している。ハノーファーに在籍した1967年からの3シーズンを除いて、キャリアのすべてをボルシアMGに捧げ、283試合195得点という驚異的な数字をマーク。キャリア通算220得点はゲルト・ミュラー、クラウス・フィッシャーに次ぐブンデスリーガ歴代3位の記録だ。

2度目のボルシアMG在籍時にはブンデスリーガ優勝4回、DFB杯優勝1回、さらにUEFAカップ優勝も経験。ドイツ代表としても1972年の欧州選手権と1974年のワールドカップで優勝を果たした。代表キャップは39試合にとどまるが、「爆撃機」と呼ばれたゲルト・ミュラーと同時期にプレーしていなければ、代表チームでももっと活躍できたはずだ。

4)ドイツ国外での実績は?

現役引退後、ボルシアMGで指導者キャリアをスタートさせたハインケス監督はバイエルンでの1期目を終えた後、スペインのアスティック・ビルバオの監督に就任する。以降、国外では4つのクラブで指揮を執った。

ヘネス・バイスバイラー、ウド・ラティックに続く3人目のドイツ人監督としてリーガ・エスパニョーラに挑んだハインケス監督は、2シーズン目にビルバオをUEFAカップ出場に導くと、1995/96シーズンにはテネリフェを率いて同様の成績を収め、翌シーズンにはUEFAカップで準決勝に進出する。

翌1997/98シーズンにはレアル・マドリードの監督に就任し、見事にCL制覇を達成。しかし、リーグ戦では4位に終わり1シーズンでクラブを去った。その後はポルトガルのベンフィカで指揮を執り、2001年から再びビルバオを指揮。2003年にシャルケの監督としてドイツに復帰した。

5)怒らせるべからず

ハインケス監督のニックネームは『オスラム』。試合中に顔が赤くなることからドイツの電球会社の名前にちなんで付けられた。普段は温厚で激高するタイプではないが、決して優しいだけの監督ではないと言える。

2012/13シーズン、CL準決勝のバルセロナ戦を前に、ハインケス監督は記者から「バルセロナについてペップ・グアルディオラにアドバイスを求めるか?」と質問された。ペップはバルセロナの元監督であるだけでなく、翌シーズンから自身の後任としてバイエルンを率いることが決まっていた。

この質問に苛立ったハインケス監督は次のように回答している。「もし誰かに聞くとしたらヨハン・クライフを選ぶ。なぜなら、彼こそがバルセロナのシステムを作った監督だからだ。何にせよ、アドバイスは必要としていない」。その後、ハインケス監督はバルセロナを2試合合計7ー0で一蹴。決勝でドルトムントを下して優勝を飾り、自信の正しさを証明した。

厳しい言葉を浴びせられるのはメディアだけではない。フランク・リベリは指揮官について、「心が広い人だが、厳しいことをたくさん言える人」と証言している。また、ハインケス監督の下でプレー経験があるレアル・マドリードのMFトニ・クロースは、苦い経験から学んだことがあるという。夏の休暇後、体重超過で合宿に参加したことについて、「彼の下では決して繰り返しちゃいけない間違いだった」と振り返っている。