デットマール・クラマー氏が9月17日、自宅のライト・イム・ヴィンケル(バイエルン州)で亡くなった。90歳だった。

クラマー氏は1960年に来日し、4年後の東京オリンピックに向けて日本代表を強化。クラマー氏の指導の下、同大会で日本代表はベスト8へ進出し、その4年後のメキシコオリンピックでは初の銅メダルを獲得した。クラマー氏は日本代表チームの強化だけでなく、現在の日本サッカーの指導者養成やユース育成等の礎を築いたとされ、「日本サッカーの父」と称されている。 2005年には日本サッカー殿堂入りを果たした。

ドイツではバイエルン・ミュンヘンの監督として、1975、76年に欧州カップ(現欧州チャンピオンズリーグ)を連覇。76年にはインターコンチネンタルカップ(現FIFAクラブワールドカップ)でチームを世界一に導いた。

ドイツリーグサッカー協会のラインハート・ラオバル博士は、「ブンデスリーガはデットマール・クラマー氏の訃報に接し、謹んでお悔やみ申し上げます。ドイツサッカー界は偉大なサッカー指導者、サッカー専門家を失いました。70、80年代のブンデスリーガではバイエルン、アイントラハト・フランクフルト、レーバークーゼンにおいて、素晴らしい仕事を成し遂げました。1975、76年でバイエルンを欧州カップ、76年にインターコンチネンタルカップで優勝に導いただけでなく、ドイツサッカー連盟(DFB)や国際サッカー連盟(FIFA)から指導者として約90カ国に派遣され、ドイツサッカーを世界に広めました。彼の長年の功績を称え、2011年には指導者として初めて、DFB栄誉賞が贈られました」と話している。

また、バイエルンのカールハインツ・ルンメニゲ社長は、「偉大なトレーナーであり、素晴らしい人間であったクラマー氏が亡くなられ、バイエルン・ミュンヘンはお悔やみ申し上げます」と哀悼の意を表した。DFBのウォルフガング・ニールスバッハ会長は、「デットマール・クラマー氏は、世界的に有名なドイツサッカーの大使だった。彼の能力は高く評価さており、また明るく、愛らしく、思いやりのある人だった。私は彼の生涯の仕事をとても尊敬している」と故人を偲んだ。