ブンデスリーガ第5節は9月18日から20日に開催される。2日目の19日(土)に、大迫勇也と長澤和輝の所属するケルンが本拠地でボルシア・メンヘングラートバッハ(ボルシアMG)と対戦する。

フランツ・クレーマー氏

始まりはサーカスの雄山羊

伝統の一戦、ケルン対ボルシアMGは、4つあるルールダービーの組み合わせの中で最も緊迫する対戦といえるだろう。その理由は1950年代にさかのぼる。始まりは1950年のケルンで、サーカスの団長がカーニバルの舞台上で一頭の雄山羊をクラブのマスコットとして贈呈したところからだ。突然、生きた雄山羊の手綱を渡された当時の会長フランツ・クレーマー氏(写真)は、これに「ヘネス」という名前を与えた。ヘネス・バイスバイラー、ドイツサッカー史きっての名監督は、その当時、ケルンで選手兼監督として活躍していた。クレーマー氏は、バイスバイラーがいつかケルンをトップクラスへ導いてくれると、期待を寄せて止まなかったのだった。

情熱がゆえの摩擦

しかし、クレーマー会長とバイスバイラーの間に、サッカーに対する情熱がゆえに摩擦が生じたといわれている。1958年、バイスバイラーは涙ながらにクラブを去ることとなった。その後何年かはケルンに残り、体育大学で指導者養成に携わるなどしていたバイスバイラーだったが1964年、ケルンから北西へ50km離れたメンヘングラートバッハへと拠点を移し、ボルシアMGを率いてクラブを初めてブンデスリーガへと昇格させた。それからというもの、バイスバイラーはケルンとの対戦の度に、並々ならぬ闘志を燃やした。それが選手やサポーターに飛び火し、現在もその伝統が引き継がれているのだ。

チームバスが行方不明に

1971年、ボルシアMGがケルンで試合をした際、チームバスが盗まれてしまった話は有名だ。試合へ向かう選手たちを乗せるはずのチームバスが見当たらなかった。選手は急きょ代わりのユニホームで試合をした。試合が終わるとチームバスは、何事もなかったように再びホテルの駐車場に停まっていたという。

ネッツァーの選手交代「オレ」

1973年には、このダービーで誰もが目を疑う衝撃的な出来事があった。ドイツサッカー連盟カップ(DFB杯)の決勝で顔を合わせた両チーム。ボルシアMGのスター選手ギュンター・ネッツァー(写真左)はその数日前に「俺はレアル・マドリードへ移籍する」と公言。これを良しとしなかったバイスバイラー監督は、この決勝戦でネッツァーをベンチへ座らせた。1-1で延長戦に入ると、ネッツァーは我慢ならずベンチから立ち上がり、自ら審判へ選手交代を告げ、ピッチに立った。バイスバイラーはタバコを吸いながら見つめるだけだった。そしてその4分後、ネッツァーが豪快なゴールを決めてボルシアMGがDFB杯を掲げたのだった。

紆余曲折の末、バイスバイラーのケルンへのクラブ愛は、ハッピーエンドで締めくくられた。1976年、再びケルンの監督として迎えられた翌年、優勝を果たしたのだ。

勝利の行方は・・・

現代に目を移すと、最近の対戦ではケルンは9戦勝ちなし(6敗3分け)と、分が悪い。あと1敗を喫すると1966年から1970年、まさにバイスバイラーの率いたボルシアMGを相手に10戦勝ちがなかった記録と並ぶ。開幕戦でゴールを挙げた大迫は膝のけがで2試合の欠場を強いられたが、前節に復帰を果たしている。好調のFWアントニー・モデステとのコンビで得点に絡むことができるか、今季まだ勝ち星のないボルシアMGがここで意地を見せるのか、クラブの誇りを懸けた伝統の一戦の行方は、雄山羊の「ヘネス」のみが知るのかもしれない。